「説明責任」の意識の欠如―逃げたら終わり 

 4番目の問題は、その一件が報道され世間の注目を集めた後に行われた、最初の記者会見における説明責任の意識の欠如についてである。 

 フジテレビは、本件について会社が行う最初の説明を、テレビ局が月1回行う定例社長会見の場を使って実施した。そしてその記者会見では、「回答を差し控える」を連発した。

 本件のような重大な人権・倫理問題を定例会見の「ついで」のように取り扱うこと自体、説明責任に対する意識の欠如を疑わせるものであって、本来は別途、本件に関する記者会見の場を用意すべきであった。 

 会見では、事前に用意された資料の範囲を超える発言を極力避ける姿勢が見られ、「できる限り情報を出さずに済ませたい」という意図が明白と受け取られたのである。恐ろしいことに、情報を出さないという姿勢は、何か隠したいことがあるという印象を与え、何かまずいことがあるに違いないという疑念を生む。

 説明責任とは、とにかく説明すればよいということではない。「事実関係」と「なぜそうしたのか」を、関係者にわかるようにきちんと説明しなければいけないのである。 

 とくにメディア企業にとって、透明性と説明責任はその存在意義の根幹なのにもかかわらず、自らの不祥事に対しては沈黙や制限を選ぶ姿勢をとったとき、その報道機関としての信頼性は著しく毀損される。本件はまさにその象徴的な事例となった。 

 問題を起こしたときは、誰もが逃げたいものである。

 私自身も、カネボウ化粧品のCCO代行をしているときに、中国の子会社で輸入販売の申請に不備があり、中国国内での販売を停止する状況になった。その際には、産業再生機構から派遣されているCEO(最高経営責任者)らとともに記者会見に出席した。

 内容については事前に情報を収集・分析し、問題の本質を究明したうえで、その是正のために、自ら記者会見を開いたものであった。よって隠すこともなく、聞かれたら何でも正直に答えればよい状況にはあったが、それでも怖かった。

 当日、記者会見自体はつつがなく終わり、ホッとして退席しようとしたら、今度はたくさんの記者に取り囲まれて矢継ぎ早に質問を投げかけられた。不意を衝かれて一瞬、気が遠くなりそうになったが、広報担当者が仕切ってくれたおかげで、どうにか乗り切れたのである。「社長が失言するのは、ああいう瞬間なのだろうな」と実感した。 

 これが、問題が山積し状況把握ができておらず、本当はいったい何が悪いのか、どんなことが起こってしまっているのか、自分たちにはどのくらいの落ち度があるのか、このようなことがよくわからない状態のなかで、記者会見に立ち向かうのは恐怖以外の何物でもない。

 それゆえ、フジテレビが行ったように、定例会見のついでに、または決算発表の記者会見のついでに、といった方法をとりたくなる気持ちもわからなくはない。

 しかしながら、逃げたら負けなのである。あなたの会社のトップは、このようなピンチの際に、毅然として難局に立ち向かい、説明責任を果たしてくれるだろうか。そして、そのような場合にも対応できる胆力を持っているだろうか。

 攻めの局面には強いが、守りになるととても弱い人がその任に就いていないだろうか。これらは、話が上手か下手かといったことではなく、経営トップがその双肩に会社の全責任を負う覚悟があるか否か、といったことなのだと思う。