この問題は、他社の役員からの不適切行為に対して、JALが“顧客との関係を維持する”よりも、“社員の尊厳を守る”という選択を行い、結果的に会社に対する社内の信頼と社外の賞賛を得た事例である。 

 もちろん、JALにとって日本ハムとの取引の重要度がフジテレビにおけるN氏や百十四銀行の取引先ほど高くなかった可能性もあり、そのことが迅速な対応を後押しした側面は否定できない。

 しかしながら、時代の変化に合わせて価値観のアップデートをしようとしてきた会社では、こういった他社の失敗や成功事例を教訓に、昭和や平成初期の性役割意識の持ち方を排し、外部者からの攻撃に対して社員をどう守るべきかを学んできたのである。

 残念なことに、フジテレビはそれらを怠り、今回の事態を招いた。では、フジテレビだけが特別かというと、そんなことはない。“昭和な会社”はいまなおどこにでもある。

 「個人間のトラブル」として矮小化した初動対応 

 本件における重大な2つ目の問題は、事案発覚直後におけるフジテレビ経営陣の判断ミス である。
報道によれば、被害の申告を受けた社長と専務は、当該事案について、「業務の延長線上にある」との認識は持たず、「個人間の私的トラブル」と位置づけた。この判断により、社内のコンプライアンス部門や外部弁護士といった専門家への相談はされず、社長や専務の私的な裁量で進めようとしたのである。

 ここでの重要な問題は、彼らが無意識的に「そうであってほしい」と願ったシナリオを追 い求めてしまった点にある。本件がもしフジテレビという「会社の問題」であったら、結果的にそうなったように、世間も会社をも揺るがす大問題になってしまう。

 一方で、問題が「個人間の私的トラブル」であれば個人間の話し合いで解決することも可能になる。その結果、「個人間の問題」にとどまることを潜在的に望むあまり、そうであるかのように状況のほうを解釈してしまった可能性がある。

 たしかに、本件はフジテレビの社員が起こした問題ではなく、社員は被害者なので、職掌 の規定にもよるが、必ずしも会社のコンプライアンス部門で扱う内容ではない可能性がある。また、場所はN氏の自宅であり、当日のやりとりに関しては当初、週刊誌が報道していたような別の社員の関与もなかった。

 さらには、被害者が本件の情報が拡散することを望んでいなかったという側面もある。このようなことから、会社の機関としてのコンプライアンス部署が関与する問題ではないと考えることも不可能ではない。

 しかしながら、そう断定してしまったことで、本来は考えなければならない業務上の権限構造や組織的背景といった重要な要素を積極的に調べようとしなかった。やはりコンプライアンス部署や人権問題を扱う部署に初めから相談すべきであった。

 もしコンプライアンス部署や専門の弁護士などに初めから相談していたら、まったく別の意思決定になった可能性もあったのである。