「暗くなったねえ」突然“聞こえない側”になった少女が受けた言葉とその先の道写真はイメージです Photo:PIXTA

小学生の頃にメニエールを発症し、突然「聞こえない側」の世界に足を踏み入れた著者。友人の輪に入れず思い詰めていたが、同じ難聴者との出会いが価値観を変えていく。社会に出てからも失敗や誤解は続くが、それでも一つひとつ向き合いながら、彼女は自分の居場所を組織の中に築いていく。※本稿は、全難聴理事長の宿谷辰夫編、全難聴副理事長兼事務局長の宇田川芳江編『難聴を生きる 音から隔てられて』(岩波書店)のうち、当事者の内悧氏による執筆パートを編集したものです。

「難聴の自分でもいい」と
思えるようになった出会い

 小学校高学年の頃にメニエールを発症し難聴者となった私は、失意の底から徐々に立ち直り、忙しくも充実した日々を送っている。仕事は県職員。今年度で27年目になる。劇的に「気持ちが楽になった」と感じるのは、障害者差別解消法等の施行後のことだ。以前は「特別扱い(はできない)」と言われたことも、合理的配慮の要請として耳を傾けてもらえる。

 難聴者になる前の私は明るく活発で、自分の意見をはっきり言える子どもだった。それがどうだろう。難聴者になってからは、友人たちの様子を一歩引いて見ていることしかできなくなってしまった。周りに補聴器をつけている者などいない。その場に相応しくない発言をして笑われることを極度に恐れた。

「暗くなったねえ」と以前の私を知る友だちに言われ、傷ついた。いつだって一生懸命耳をすましていて、おしゃべりに参加したかったのだが、あいまいな聞こえでは口をはさむことができなかっただけなのだ。「聞こえにくい自分は本当の自分ではない」という思いで過ごしていた。

 私が難聴を受容したのは高校2年生の時だった。聞こえにくい人たちが私の他にもいて、その人たちと交流をもつなどということは、自分では全く思い至らなかったのだが、友だちと馴染めず思い悩む私を見かねて、母がろう者福祉協会を訪ね、同級生のAちゃんを紹介してもらってきた。難聴協会なるものがあると知ったのもその時だった。