令和の現実社会では、効率の悪いことは推奨されない。使った時間や回した頭、そのコストに見合ったリターンがなければやる価値がない、とされるのが今という時代だ。

 受験勉強は、限られた時間というリソースをどの科目にどう配分し、どういう勉強法を選択するかで結果が大きく変わってくる。行ける学校の「格」に雲泥の差が生じる。

 仕事では、割いたリソースと得られた結果が見合わなければ評価が下がる。良いキャリアを築けない。

 インターネット上では、回る動画や見られる投稿に確固たるセオリーとメソッドがあり、アルゴリズムを理解して最適なやり方を採用しなければ、数字が出ない。

 無駄なことをやっている暇はない。無駄は罪、無駄は悪、無駄は愚か。

 我々は、そういうことにもうウンザリなのだ。

 しかし社会システムが現にそうなっている以上、ゲームのルールがそうである以上、多くの人はそこから脱することができない。

 現代人は、この状況に疲弊している。誰も成瀬のようにコスパ・タイパと無縁では生きられない。成瀬のように「すぐ役に立たないこと」ばかりをやって生きてはいけない。

 だから、成瀬に吸い寄せられる。効率の悪いことを嬉々として実践し、喜びをもって完遂する成瀬に引き寄せられる。

 昔から、フィクション内のヒーローは一般大衆が持っていない能力を持っていた。力が強い、超イケメン、特殊能力など。それで言うと成瀬は、コスパ・タイパといった効率を一切考慮しない生き方が奇跡的に実践できている、令和日本のスーパーヒーローだ。

 実利的な費用対効果が測れるもの以外は手を出せない、あるいは出すことに対して恐怖すら抱いてしまっている現代人にとって、それができてしまう異能者こそが成瀬だ。憧れの対象であり、夢の人。推すにふさわしい。

なぜ、ハイスペックな成瀬を応援したくなるのか?

 ただ、成瀬がいかに個性的で人に優しく、時流に流されない異能者であっても、それだけでは推し活を構成する重要な要素である「応援」までには行き着かない。応援とは、ファン側の「私たちが支えてあげなければ」という義務感すら引っ張りださなければならないからだ。ひとりでなんでもやれる、誰の支援も必要ないスーパーヒーローは、憧れや尊敬は抱かれても、応援はされない。

 その点、成瀬は「応援され属性」に満ちている。一般的な意味でのコミュ力が高い人ではないからだ。それは、「無表情」「行動が突飛」「何を考えているかわからない」というパーソナリティに現れている。