成瀬はグローバルを目指さない。資本主義社会のヒエラルキー上位を目標にはしない。そこに到達できるスペックを明らかに持ち合わせているにもかかわらず、そういう次元では生きていない。
代わりに、成瀬はきわめて地元愛が強い。彼女のバイタリティの大半は地域貢献に注がれる。将来の具体的な夢として「大津にデパートを建てたい」と宣言し、自ら応募して勝ち取ったびわ湖大津観光大使の仕事を、信じられないほど精力的にこなす。
学生であれ社会人であれ、やたらグローバルな視点をもて、グローバルを目指せと尻を叩かれるのが現代だ。しかし頭ではわかっていても、皆が皆、そこまでのファイトを持ち合わせてはいない。そんな高い視点はもてない。皆が皆、そんな意識で生きてはいないし、生きたくはない。
しんどいのだ。社会からの、そういう圧が。
「世界に目を向けろ、日本を飛び出せ」圧に疲れた人たちは、最初から最後まで地元志向で、物語が無用に広がらない成瀬シリーズに癒やされる。ほとんどの事件が超ローカルな範囲と規模で収束し、「隣人への親切が感謝の形で返ってきて嬉しい」の派生ですべてが落着する成瀬ワールドに身を浸すことは、究極のリラクゼーションでありデトックスなのだ。
失われた30年で国が貧しくなり、世帯収入が減って中間層の生活が苦しくなった今の日本には、経済的な理由で地元から上京したくても上京できない人、できなかった人がとても多い。親ガチャや能力主義の横行に傷つき、経済格差がSNSでより可視化されて疲れ切ったあげく、コンプレックスや後ろめたさや悔しさを抱えている人も、また多い。
令和の日本人は、とにかく疲弊している。
しかし地元に住み、地元に根ざし、地元にすべてを注ぐ成瀬の行動は、そんな彼らを間接的に全肯定する。ここでできることを、できる範囲でやればいい、と。
無用に視野など広げる必要はない。外なんて向かなくていい。目に見える隣人と今いる場所を愛せれば、それで十分。令和日本の大衆が潜在的に望む、手を伸ばせば届く近距離にある正解を、成瀬は完全に提示したのだ。
ノーリスクで汚れなき物語
フィクションのキャラクターである成瀬を推すことには、現実の推し活、つまり生身の人間を推すことに比べて大きなメリットがある。リスクと無縁であるということだ。
稲田豊史『このドキュメンタリーはフィクションです』光文社
生身の人間は、いつか何かを「やらかす」かもしれない。擁護できないほどの失言で炎上するかもしれない。不義を働くかもしれない。突然、表舞台から消え去るかもしれない。そうなったとき、ファンのダメージは計り知れない。
しかし、小説内の登場人物である成瀬にその心配はない。ノーリスクで安心して推せる。
しかも、物語は成瀬が社会人になる前の大学時代で終わっている。就活すら始まっていない。つまり成瀬は、社会に出て我々が生きるクソみたいな現実の洗礼を浴びないまま、美しくその芸術的パフォーマンスを終えた。
私たちが夢を託した推しは、その夢を寸分たりとも汚さないまま、私たちの前から消えた。成瀬は最後の最後まで、読者という名のファンにとてつもなく優しかったのだ。







