新刊『組織の違和感 結局、リーダーは何を変えればいいのか?』の発売を記念して、著者の勅使川原真衣さんと、坂井風太さんとの特別対談を実施。坂井さんは勅使川原さんの著書を「すべて読んでいた」そうで、初対面のお二人とは思えぬ熱い話が繰り広げられました。(構成/ダイヤモンド社・大西志帆)

組織の違和感

勅使川原真衣(以下、勅使川原) 今って、違和感なんか持ってなくて、サウナで整って、いつもご機嫌……みたいな人の方がナイスガイっぽく扱われるような世の中ですけど、こうやって坂井さんが違和感を表明してくださるのはうれしいなあ。

 ちょっと言うと、「またあいつは怒ってる」って倫理主義的に言われたりするじゃないですか。

坂井風太(以下、坂井) あ、勅使川原さんはたまに怒ってるな。

勅使川原 ばれました?

坂井 たまに引用リツイートとかで見ますね。でも、それはおもしろいですよ。

 今、倫理主義という言葉が出ましたけど、確かに私の世代の人たちはレスバトルをしないっていうところを言われていますよね。人を傷つけて炎上するのはめんどくさいとか、公の場で議論しないのが格好いいという美徳を持ってしまっているのかもしれない。

 ただ一方で、レスバトルしないことを美徳っていうのが本当かどうかってあるわけじゃないですか。

 だって、レスバトルって言われるけど、その人としては権威の戦いというか、こっちの主張に世界が寄りすぎると危ないから自分が言わなきゃいけないっていうふうなものもあるわけですよね。
 それはどう思われます? 功罪あるって感じですかね。

勅使川原 昨今の令和人文主義とか。

坂井 あっ。ちなみに、それはどう捉えるんですか?

勅使川原 いやー、そうせざるを得ない、彼ら・彼女らの合理性があるんだとは思います。

坂井 それは、どういう合理性を思うんですか?

「生き方ミニマリズム」の功罪

勅使川原 タイパが悪いとか、美意識に合わないとかも内心あるだろうし、あとは昨今は『推し』てもらってなんぼだとすると、ネチっとするのはアウトなんじゃないですかね。

坂井 確かになー。だからそれはある意味、私の仮説としては生き方ミニマリズムみたいなのもあるのかと。

勅使川原 あ、それはあると思います。

坂井 「世界を変えよう」みたいな風潮は、1970年ぐらいに一番盛り上がってたと思うんですけど、それがもうある意味無理だみたいな風になってしまっていて、社会を変えることの不可能性が長く続いてしまっている。

 だからこそ、「もう等身大で生きよう」「自分のコミュニティで生きよう」みたいなところになっているってことだと思いますけどね。

勅使川原 いやー、それはでもね、お母さん悲しいなって思っちゃうんですよ。

組織の違和感

坂井 お母さん悲しいですか。

勅使川原 「ウェルビーイング」って言葉が1948年のWHO憲章文で出てきた時って、「社会の健全性」と定義されたんですよね。

 それがもう完全に「ハピネス、個人の幸せ、個人の健康」の方に戻っていってる感じがします。でも、連帯しづらい世の中を生み出したのは私たちの世代でもあるので……。

坂井 そうなんですか。

勅使川原 はい。40代、50代以上の人じゃないですかね。

坂井 でも私、勅使川原さんを実は尊敬している点はそこなんですよ。

「勝ち逃げ主義」を次世代に引き継がない

坂井 例えば、就活でもそういう傾向があるかもしれませんけども、いかにデフレ時代において社会の椅子取りゲームでいかに自分が生き残るかっていう思考になってくる。

 そうすると、自分の最適解というものを探しますよね。二十代のうちに年収1000万、1500万いって、ローン組んで港区のタワマン買って、その含み益で一丁上がりみたいなのが生き方ミニマリスト。それもある意味、否定しようがないものであると。

 だけど私は、自分だけが勝ち抜くのがエリートではないと思っているんですね。現実的にもそうですよね。
 いかに他の人に尽くせるか、利他主義的なものとか長期主義的なところに張るのがなかなか難しい時代において、そっちをやろうとしている人たちがいるっていうのはすごい大事だと思ってるってことですね。

勅使川原 本当にそうですね。だから、自分はただラッキーパーソンなんだと思うし。だって、他の人のことも考えられるぐらい、ある意味余裕がある。

坂井 恵まれてる。

勅使川原 はい。恵まれているんだとは思うんですよね。
 だったらまあね、子どもたちを残して死ななきゃいけないかもしれないと思うと、やっぱり次世代に引き継ぎたくないんですよ。この勝ち逃げ主義みたいなものを

坂井 わかるなぁ。

*第4回は1/22(木)公開予定です。