私は単語も文法もとにかく書いて覚えるタイプである。古代語の場合でも音声の重要性は変わらないが、エジプト語のように表記上の問題で事実上音を扱う方法がないものもある。ラテン語やサンスクリット語は今でも会話に使う人がいる。

 たとえ古代文字を記した文献の「現物」が粘土版や石板であっても、現代の学習者はノートに鉛筆で書くのが普通だ。文字を覚える時には単語単位で書き、単語を覚える時には文単位で書く。

 これが書いて覚える時の鉄則である。とりあえず教科書や文法書に載っている例を片っ端から書き写す。まずは言語のリズムに慣れなければならない。

 最初は主に「AはBだ」のような典型的な文がどんな響きや綴りになるのかを確認する。出現頻度が高い文字や単語を把握する。そうやって書き慣れてくると、徐々に次にくる単語や文字の予測がついたりするようになってくる。

 私はとにかく「その言語の感覚をつかむ」ことを重視している。「感覚をつかむ」というと抽象的に聞こえるかもしれないが、要するにいちいち考えずとも理屈が頭にすり込まれている状態のことだ。どんな勉強法をするにしても、最終的にその方向にさえ向かっていれば大丈夫である。

 途中で全て放り出して勉強をやめてさえしまわなければ、多少の効率の差などは些細なものだ。

ラテン字の例で考えると
文字と言語が別物だと理解しやすい

 まず大原則として、文字の背景には言語がある。それはヒエログリフ(編集部注/古代エジプトで使われた象形文字)でも楔形文字でも漢字でも同じ。文字と言語の対応関係は1対1ではないし、「言語=文字」でもない。

 ヒエログリフで書かれる古代エジプト語にしても、クフ王の時代の古エジプト語という段階と、ラムセス2世の時代の新エジプト語という段階では結構毛色が違う。

 そして、より新しい時代になると、少し改変したギリシア文字で表記されるコプト語というのがある。これは文字こそ違えど古代エジプト語の末裔にほかならず、文法的には新エジプト語と大差ない。