エージェントと呼びたくなるが
エージェントではないもの
以下のような仕組みは、AIエージェントとして誤解されやすい代表例です。
まずは、頭の良いAIが搭載されたチャットインターフェース。高度な推論ができ、自然な対話ができるため、まるで自律的に考えて動いているように見えます。しかし、これは実際には人間の入力に応答しているだけであり、目的を持って行動を選び続けているわけではありません。思考しているように見えても、行動の主体にはなっていないのです。
次に、人間がやっていた作業を自動化するRPA。確かに「動き」ますが、その動きはあらかじめ定められた手順に従ったものです。例外や状況の変化に応じて、自ら次の行動を選ぶわけではありません。むしろ、明確なルールのもとで安定した処理を担う仕組みと捉えた方がよいでしょう。
もう1つ、よくあるのが、ワークフローの一部にAIが組み込まれたケースです。承認フローの中でAIが判断を補助したり、特定の工程を担ったりすることはありますが、それ自体で目的を持ち、全体を見渡して行動しているわけではありません。あくまで、設計された流れの中の一機能に過ぎないのです。
これらは、いずれも価値のある仕組みです。しかし、それぞれを安易にエージェントと呼んでしまうと、「自律的に動く存在」という、本来のエージェントが果たすべき射程が見えなくなります。
さらに深刻なのは、エージェントの「定義の曖昧さ」と「期待先行」が、組織内に決定的な認識のズレを生むことです。
経営層は「賢いAIならすぐに自律的に動く」という理想を期待して「完成品」を求めます。しかし現場のエンジニアは、確率的にしか動かないAIを制御する泥臭い現実に直面しています。
自律性とは、単にタスクをこなすことではありません。目的を維持し、状況の変化に応じて行動を選び続ける能力です。これを安定させるには、モデルの性能だけでなく、膨大な例外処理や設計思想の積み上げが必要になります。
しかし、この難易度が共有されないまま仕組みの導入が進むと、現場では「PoCでは動いたのに、本番では例外だらけで使い物にならない」という典型的なつまずきが起きます。結局は人が横で見張り続けることになり、「思ったほど成果が出ない」という評価につながってしまいます。
エージェントは「今すぐ完成形として手に入るもの」ではなく、「長い時間をかけて段階的に育てていくもの」なのです。
現実が理想からかけ離れているという技術的実感が共有されないまま、言葉だけが先行する。この乖離(かいり)を理解しないまま仕組みを導入する危うさは、技術そのものよりも、むしろそれを受け入れる組織の側にこそ濃く現れます。







