そうやって仕事に邁進して、日本経済が一定の安定を見せた頃に自分もキャリア的な安定期に入り、40代を目の前にしてようやく子どもを持っても大丈夫かなと思った時には、子どもを作ろうと頑張ってもできなかった――。長い不妊治療の末に絞り出された悲しい声をたくさん聞いた。

 倖田來未さんの「35歳を過ぎたら羊水が腐る」発言は2008年、今から18年前のことだ。この発言は問題だとバッシングを受けた一方で、35歳以降は高齢出産であり、年齢とともに卵子の質や妊娠リスクが変化するという現実を浮き彫りにしたのもまた事実だった。結婚年齢と出産年齢の高齢化が社会トレンドとなる陰で、「卵子の年齢」が置き去りにされていた――これが身体的理由だ。

社会の変化と、残る「産む義務」という幻想

 2010年代中盤に女性活躍推進法が制定され、「女性が輝く社会を」との旗印のもとで、共働き世帯率と専業主婦世帯率が画期的な逆転を見せた。企業は産休育休や時短勤務など、社員の子育て支援制度を整備するよう要請され、ワークライフバランスという言葉がマントラのように唱えられていった。

 現代の女性首相が「ワークライフバランスを捨てて、働いて働いて……」と口にするのとは真逆の風潮だ。ワークライフバランスを「捨てる」ことができるのは、それがまず「存在する」からだ。ワークライフバランスの存在する世の中になるまでには、それがないまま子どもを産み育てていた母親たちと、母親になることを諦めたり、選ばなかった女性たちが「これじゃ産み育てられない」「無理ゲー」と声を上げていったのだ。

 2020年代も半ばとなり、子育て支援が広がり、働く母親たちの口から「無理ゲー」なんて言葉も、そもそもわざわざ「働く母親」なんて言う人も聞かなくなるほどに、「働く」「母」の姿が一般的になった。でもそもそも、母親になれる若い女性の数が少子社会では少ない。ロスジェネの6〜7割程度である。10年前の少子化は「女性の母数は多いが産む選択をする女性の割合が少ない」、しかし現代の少子化は「そもそも女性の母数が少ない、その中で産む選択をする割合を伸ばしても限界がある」わけで、少子化の質が違う。

 上川陽子元外相が2024年5月半ば、静岡県知事選での応援演説の中で「うまずして何が女性か」と発言して報じられたが、フレーズとしてこれが口をついて出るにはやはり、エリートのキャリア女性として走り続けてきた上川氏の中にも、「女性独自の(男性と差別化する)価値や役割は子どもを産むことにある」との認識が根本的に刷り込まれていると言わざるを得ない。