日本を創った57人の経営者写真:国立印刷局/AI Generated/ ChatGPT

今、私たちが当たり前だと思っている日本の企業の姿や、働き方、組織の常識は、最初にそれを形作った設計者や実装者がいる。連載『日本を創った57人の経営者』の本稿では、ミスター1万円札こと渋沢栄一を取り上げる。具体的には何をした人なのかいまひとつ分かりにくい偉人。実は、日本経済の草創期にひたすら“調整役”を買って出て、その役割の重要性を知らしめた人物だった。(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

渋沢は「凡人の偉い人」
偉大なる調整役

「あいつは調整ばかりして、自分では何も生み出していない」
「合意形成なんて気にしていたら、イノベーションなど起こせない」
「価値を生むのは“ゼロからイチ”を創る人であり、組織をまとめるだけの人は二流だ」

 いつの間にか、こうした言葉がビジネスの正論として語られる時代になりました。

 私も編集長など管理職の立場において、組織内の調整という仕事の多さと面倒くささにうんざりしたクチです。そんなことを気にせず、好きなように突っ走る方がカッコよくね?なんて思ったりもしました。

 しかし、この「調整」や「社内政治」を卑下する風潮こそが、今の日本社会が抱える最大の弱点であり、決定的な視点の欠落ではないか。今はそう考えています。

 組織や社会を実際に「回している」仕事の大半は、調整です。異なる利害や価値観をどう接続し、破綻させずに前へ進めるか。これは最も高度で、しかも失敗が許されない仕事です。

 そして、日本経済はまさにその「調整」によって動いてきました。

 その原型をつくった人物こそが、ご存じミスター1万円札、渋沢栄一です。

渋沢栄一しぶさわ・えいいち
1840年3月16日生まれ 1931年11月11日没
幕末から昭和初期に活躍した実業家。「日本資本主義の父」と称され、第一国立銀行や東京証券取引所など約500の企業設立・育成に関与した。道徳(論語)と経済(算盤)は本質的に一致するという「道徳経済合一説」を唱え、多くの人から資本と才能を集めて事業を興す「合本主義(株式会社制度)」を推進。約600の社会公共事業や教育機関の支援にも尽力した。 写真:国立印刷局/AI Generated/ChatGPT

 近代日本の経済史を語るとき、必ず名前が挙がる人物ですよね。しかし、「結局、この人は何をした人なのか」と問われると、答えに詰まる人も多いのではないでしょうか。

 日本の「資本主義の父」と呼ばれることがあります。でもこの際、はっきり言いましょう。渋沢は、資本主義を日本に“移植”した人ではありません。「日本社会に合う形に“調整”して根付かせた人」です。

 郷誠之助という、明治~昭和にかけて多くの企業の経営や再建に関わった大物実業家がいます。男爵の爵位を持ち、東京株式取引所(現東京証券取引所)理事長や日本商工会議所会頭、貴族院議員なども務め、日本の経済界をけん引した重鎮です。

 その郷が「ダイヤモンド」1935年4月11日号のインタビューで語った言葉は、渋沢という人物の本質を、これ以上なく言い当てています。

「渋沢は『凡人の偉い人』だ。常識の非常に達した人間だった。徹頭徹尾、物事を正しく行うということに終始した人だった。何か事が起こった場合、それを処する意見を自ら立てるというような人ではなかった。関係者の間を頻繁に往復して結局どうにか解決する。
 向こうで何かもっともらしいことを言うと、さようでございますかと言って帰ってくる。こっちで、いやそうでないと言えば、また向こうへ出掛けていく。人から言われれば、何べんでも出掛けていく。そうしてどこかで必ずまとめる。凡人の偉い人なんだ」

 渋沢が生涯にわたって果たした最大の役割。それは、日本社会に欠かせない「調整役」を引き受け続けたことだったのです。

 次ページでは、渋沢の本当の功績について説明します。よくドラマに、政財界を裏でつなぐ「フィクサー」が登場しますが、そうした存在と渋沢はどこが違うのか。そして、現代の日本にこそ渋沢のような人物が必要であることを解説していきます。