日本を創った57人の経営者写真:国立国会図書館/AI Generated/ChatGPT

今、私たちが当たり前だと思っている日本の企業の姿や、働き方、組織の常識は、最初にそれを形作った設計者や実装者がいる。連載『日本を創った57人の経営者』の本稿では、福沢諭吉の門下生にして「学閥」を発明した中上川彦次郎。日本企業において学閥は、人事や出世を左右するという閉鎖的な組織の象徴として否定的に語られがちですが、誕生当初は、旧弊を突き崩そうとする理論派の青年たちの“武器”であり、企業を近代化するための“経営装置”として生まれたものでした。(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

日本最強の同窓会組織
慶應義塾「三田会」の源流

 世の中には「大学序列」なるものが存在し、一次の書類選考は学歴フィルターによってふるいに掛けられる――。就活の際によく出る話題です。どの大学に入学したかという、いわば18歳のときの偏差値でその後の人生の優劣が決まってしまうのは理不尽な話です。しかも、社会に出たら同じ大学出身者が集まって、えこひいきしたり人脈や仕事を融通し合ったりする「学閥」というやつが存在するといわれます。

 私が卒業した大学は比較的小規模なので、そう頻繁に同窓生に会うことはありません。学閥とも無縁だったな……と思っていましたが、そういえば私の前任の「週刊ダイヤモンド」編集長は同じ大学の1学年上でした。さらに言うと、当時の社長も同窓でした。どちらとも大学時代の話などしたことはほとんどありませんでしたが、知らない人からすると学閥のように見えたのかもと今になって考えます。まったくの偶然ですけれど。

 それでも、実際に企業のトップ人事などで同じ大学の出身者が続いたりすると、「ほう、この会社は◯◯大学閥が強いのか」と、下衆の勘繰りをしてしまうことはあります。

 特に知られているのは慶應義塾の同窓会「三田会」です。約41万人を擁し、卒業年次別、地域別、職域別などで組織される870以上の支部・団体によって強固なネットワークを持っています。

『大学ランキング2026』(朝日新聞出版)によると、大学の同窓会組織としては日本大学が126万人以上で1位。続いて早稲田大学が68万人、中央大学が54万人、明治大学が52万人で、慶應義塾大学は関西大学と並ぶ8位ですが、三田会は日本の経済界において圧倒的なパワーと結束力を誇る組織として知られています。

福沢諭吉が壊そうとした
「門閥」という悪弊

 日本企業を語るとき、「学閥」という言葉はたいてい否定的に使われます。特定の学校出身者が派閥をつくり、人事や出世を左右するという閉鎖的な組織の象徴として語られることが多いからです。

 しかし、今でこそ学閥は排除すべき対象のようになっていますが、誕生当初は、旧弊を突き崩そうとする理論派の青年たちの“武器”であり、企業を近代化するための“経営装置”として生まれたものでした。

中上川彦次郎なかみがわ・ひこじろう
1854年10月4日生まれ 1901年10月7日没
豊前中津藩士の家に生まれる。母は福沢諭吉の姉であり、福沢のおいに当たる。慶應義塾で学んだ後、ロンドン大学で経済学・法律学を修め、帰国後はジャーナリストとして「時事新報」の創刊に携わる。1891年、三井銀行の理事に就任し、翌年には三井系各社の経営を統括する実質的な最高責任者として数々の改革を手掛ける。在任10年足らずで47歳の若さで急逝したが、日本の財閥経営と企業近代化に大きく貢献した。
写真:国立国会図書館/AI Generated/ChatGPT

 それを発明したのが、三井財閥の改革者・中上川彦次郎。福沢諭吉のおい(母が福沢の姉)であり、慶応義塾の門下生でもありました。

 こうした歴史が三田会の源流にあると知ったら、見る目も変わるかもしれません。

 中上川は1891年に三井財閥の経営を任されると慶應義塾の卒業生を大量登用し、組織を近代企業へとつくり替えました。その意味で、日本企業における「学閥の祖」と呼ぶべき存在です。

 福沢は、自伝『福翁自伝』の中で、怒りを込めてこう記しています。

「門閥制度は親の敵(かたき)でござる」

 下級武士の家に生まれた福沢は、どれほど才能があっても「家格」に阻まれる現実を、父の生涯を通じて見てきました。個人の努力や知性が、生まれ持った属性によって握りつぶされる不条理。彼にとって「門閥」とは、人間の可能性を損なう悪弊に他なりませんでした。

 中上川は、この怒りを最も純粋な形で継承した弟子です。生まれ持った出自ではなく、「独立自尊」の精神と「実学」を身に付けた人材で組織をつくり替える――。そのための装置が「学閥」だったのです。

 次ページでは、政治家や官僚を恐れもせず、時には宗教界や京都の人々を敵に回して、バブル崩壊後の不良債権回収をも彷彿とさせる取り立てを行うなど、中上川による改革の数々を振り返ります。また、その実動部隊として慶應人脈がどう活躍したか。そして薩長藩閥とも東京帝国大学とも違う民のエリートである「慶應ネットワーク」が経営を担った歴史が、その後の日本企業の経営、人事制度に与えた影響を探ります。というのも、中上川がいなければ、今でこそ当たり前となった「大卒者が大企業を運営する」というスタイルは定着しなかったかもしれないのです。