写真:国立国会図書館/AI Generated/Chat GPT
いま私たちが当たり前だと思っている日本の企業の姿や、働き方、組織の常識は、最初にそれを形作った設計者や実装者がいる。今回は、日本的経営の基礎となった「家族主義」を創ったカネボウの社長、武藤山治に焦点を当てる。武藤が掲げた「家族主義」「温情主義」とは、単なる“優しさ”ではなく、徹頭徹尾、リアリズムに基づくものだった。(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)
女子工員の枕や布団まで
チェックした経営者
新卒でダイヤモンド社に入社し、今年で60歳を迎えます。
とはいえ、一貫してこの組織に身をささげてきたわけではありません。4年前、一度退職してスタートアップ企業に転じた時期がありました。
結局、古巣で新たなミッションを託され、2年後に復帰することになりましたが、スタートアップで過ごした時間は実に刺激的で、得るものの多い経験でした。
気付きの一つは、意外にも、スタートアップの方が「家族的」だったということです。
ダイヤモンド社は創業112年の老舗企業ですが、この30年で終身雇用や年功序列といった「日本的経営」から距離を取り、ジョブ型・成果主義へとかじを切ってきました。この間、人間関係もドライになってきた感があります。
一方、スタートアップには「家族」「仲間」といった言葉を用いながら、強い一体感と高いコミットメントを求める文化があります。頻繁に全社員集会やイベントが開かれ、土日に社長の自宅で打ち合わせをすることも珍しくありませんでした。そんな時間を通じて創業者のビジョンを共有し、「一丸となって挑む」意識を高めていくというわけです。強い帰属意識と高いパフォーマンスの要求をセットにした演出ともいえますが、それでも表面的にはどこか「古き良き日本企業」の温かさを思い出させるものがありました。
終身雇用、年功序列、厚い福利厚生、家族的な職場文化――。戦後の日本企業を特徴付ける「日本的経営」を構成する要素です。
高度経済成長を支えた「日本的経営」のルーツは、どこにあったのでしょうか。実は、それは自然発生したものではありません。多くは、近代に入ってから意識的に「設計」された制度でした。
その設計者の一人が、鐘淵紡績、後のカネボウを率いた武藤山治です。江戸時代最後の年となる慶応3(1867)年に生まれ、明治から昭和前期にかけて活躍しました。
むとう・さんじ1867年4月5日生まれ、1934年3月10日没
1884年慶應義塾卒業。翌年、米国に留学し87年帰国、銀座に日本初の新聞広告取次業を創始。新聞記者等を経て、93年三井銀行に入行。翌年鐘淵紡績会社に移り、1921年社長就任。24年から代議士としても活動した。30年鐘紡社長を辞任。32年政界引退後に時事新報社長となり、帝人事件で政財界の腐敗を糾弾中、狙撃され死去した。 写真:国立国会図書館/AI Generated/Chat GPT
経営者としての武藤は、近代産業における最大の資産は、資本でも設備でもなく「人」であるという事実を、早くから見抜いていました。
『女工哀史』に象徴されるように、当時の紡績工場は「奴隷の島」「収容所」とまで呼ばれ、女性たちが過酷な環境で働かされていました。一方、経営者たちは劣悪な労働条件を棚に上げて、離職率の高さを嘆いていました。
三井銀行から鐘紡の兵庫工場支配人として乗り込んだ27歳の武藤は、この状況に対し、力で抑え込むのではなく、労働者を企業の内部に「抱え込む」道を選びます。
「職工優遇こそ最善の投資なり」と、託児所、寄宿舎、医療、教育、共済制度を整備していきます。従業員本人だけでなく、その生活全体を企業が引き受ける「経営家族主義」と呼ばれる経営スタイルの誕生です。
「従業員を他人の子どもを預かっていると思い、家族同様にどこまでも親身に世話をすべきだ」と唱え、女性工員たちが快適に眠れるよう、布団の長さや枕の高さにまで気を配ったという証言も残っています。
また、工場へ人力車で出勤する途中、鼻緒が切れた下駄を手に裸足で工場へ急ぐ工員の少女を見掛けた武藤が、「待ちなさい」と声を掛け、自分が乗っていた人力車に少女を乗せ、自らは弁当を抱えて徒歩で出勤した――そんな逸話も伝えられています。
過酷な職場を“天国”に変えた武藤の経営は、「温情主義」とも呼ばれました。しかし彼は決して、ただの“優しいおじさん”ではありませんでした。
武藤の温情は感傷的なヒューマニズムではなく、長期的に見ればそれこそが最も合理的な投資であるという信念に裏打ちされた、徹底したリアリズムに基づくものだったのです。何しろ武藤は、厚遇によって従業員の精神に働き掛け、仕事への集中力や意欲を高めることを「精神的操業法」とまで呼んでいます。
この徹底した「リアリスト」は、鐘紡の経営を離れた後、政治やメディアの世界に入っていきます。政治家として、また新聞人として、場の空気を読むことなく、“敵”に切り込んでいく姿は、温情主義とは程遠いものでした。新聞人としては、NHKの朝ドラ「虎に翼」でも描かれた戦前最大の「疑獄事件」を告発し、注目を浴びます。その結果、悲劇的な最期を迎えますが、それについては次ページで紹介しましょう。
また、武藤が育てた鐘紡もまた、悲劇的な末路をたどります。2004年のカネボウ破綻と、その後の事業解体に「日本的経営」がどう作用したのかも検証していきます。







