福島第一原子力発電所Photo:PIXTA

映画『Fukushima50』では、原子炉の暴走を食い止めるため、死を覚悟して現場に残る作業員たちの姿が描かれる。映画ウォッチャーである筆者らによれば、彼らの振る舞いは、戦時中の特攻隊員を想起させる部分があるという。だが、それは本当に同じものなのか。人はなぜ「命を懸ける行為」に心を動かされるのか。その構造を社会学的にひもとく。※本稿は、社会学者の井上義和、フリーライターの坂元希美『人はなぜ特攻に感動するのか』(光文社)の一部を抜粋・編集したものです。

極限の場面で開眼した
原発作業員の責任感

坂元希美(以下、坂元):原子力発電所という巨大なエネルギーを制御する施設と、そこに勤める人びとは危機的状況に置かれたときにどうなるのか。

 映画《Fukushima50》では、最初、吉田昌郎福島第一原発所長(渡辺謙)は「しっかりひとつひとつ確認して対応するんだ。あわてんな」と、声をかけます。事故への備えは念入りにやってきました。しかし、津波は「想定外」の高さで襲ってきた。

井上義和(以下、井上):観客も東日本大震災のときに繰り返し流された津波映像の記憶と重ねて、恐怖を感じたでしょうが、この映画の真骨頂は「見える恐怖」よりも「見えない恐怖」を描いたところだと思います。

 福島第一原発(1F=イチエフ)の現場指揮官たちは、津波を見ることができない。吉田所長がいる免震棟の緊急時対策室(緊対)も、伊崎利夫一・二号機当直長(佐藤浩市)がいる原子炉に隣接する中央制御室(中操)も、窓がないから外の様子は見えないのです。