長すぎる距離に多すぎる障害
降り続く雨が行く手を阻む

 通説によると、6日には沼城到着。備中高松から姫路までは全体で約100kmありますが、そのうち沼城から三石、船坂峠を通り、7日に姫路につくまでの80km弱の距離をたった1日で踏破したことになります。

 大日本帝国陸軍では、1日の行軍距離の目安を「約24kmを標準とする」と定めていたことを考えればその4倍もの距離を踏破することは、本当に可能だったのでしょうか。

三石城の石垣。北西斜面の大手門付近によく残る三石城の石垣。北西斜面の大手門付近によく残る 撮影:今泉慎一(風来堂)

 三石は現在の岡山県備前市の北東部に位置し、古くから山陽道の宿場町として賑わっていました。そのすぐ東には、播磨(現・兵庫県南部)・備前(現・岡山県南東部)との国境の船坂峠という難所が待ち構えています。標高は197mほどですが、当時は山陽道の難所区間となっています。

 宿場町の北に聳える山上には、三石城がありました。中国大返しの頃には廃城となっていたといわれますが、石垣や空堀を随所に配した技巧的な城。国境を守る「境目の城」として、役割を担っていてもおかしくない気がします。

 秀吉軍を苦しめたのは、長い距離だけではありませんでした。

 行軍初日は大雨に見舞われ、その後も雨が続いたといわれています。雨に濡れて滑りやすくなった峠道は、いつも以上に難儀だったはずです。

 難所は峠だけではありません。沼城から姫路城までの間には、吉井川、千種川、揖保川と、大きな川が流れていました。雨が続けば増水し渡河は極めて困難に。川の増水によって進軍を阻まれた例は、戦国時代にいくつもあります。

1日で80kmを駆け抜けるのは
当時の兵士達に可能だったのか?

 そもそも、重い甲冑もかなり不利になっていたはず。