公明党は護憲政党ではあるが、20年以上にわたり自民党と連立を組み、自衛隊や日米同盟を前提とする安全保障政策を受け入れてきた。野田氏が期待したのは、護憲論よりも、政権与党として培われた現実主義の方だったのだろう。

 一方、公明側の斎藤鉄夫氏は、被爆地・広島を地盤とし、核廃絶を最重要課題に掲げてきた。自民・維新が合意した9条改正の条文起草協議会設置に「深く危惧する」と懸念を示し、防衛装備品輸出の規制緩和にも反対している。

 斎藤氏にとって立憲との連携は、自民党に代わり得るリベラルな政治勢力を再建し、政権への対抗軸をつくるための土台だったと考えられる。

 結果として、野田氏は新党に「脱リベラルの装置」を期待し、斎藤氏は「リベラル再興の足場」を期待した。同じ方向へ進むために握手したのではない。別々の方向へ進むために、互いを必要としたのである。

硬直した護憲・平和主義勢力が残る立憲民主党

 野田氏は改憲派であり、斎藤氏は護憲派である。憲法観では割れているが、安全保障政策については、どちらも基本的に現実的な立場を取っている。

 公明党の護憲姿勢は理念であると同時に、中国などとの対立が決定的になることを避ける政治的な緩衝装置としても機能してきた。平和安全法制の際も、集団的自衛権の全面容認には反対しつつ、専守防衛の枠内で現実的な着地点を探った。「守るべき一線は守るが、必要な着地はつける」という連立与党の作法がある。

 ところが、立憲民主党には、公明党よりはるかに硬直した護憲・平和主義勢力が残っている。

 同党の古賀千景氏が国会質疑で、「自衛隊に行く子どもたちって、経済的に厳しい子どもたちが行くんですよ。豊かな子どもたちは自衛隊とかになりませんよ」と発言し、撤回・謝罪した一件にも、それは表れている。

「軍靴(ぐんか)の音が聞こえる」といった言葉で不安をあおり、安全保障政策の議論そのものを封じようとする態度を、私は「軍靴病」と呼んでいる。その傾向は、公明党よりも立憲民主党の一部に強く残っている。

 野田氏は、公明党が政権与党として身につけた現実主義を借り、立憲民主党内の頑強な護憲派を切り離そうとしたのだろう。

 しかし、その前に総選挙で惨敗し、合流の意義そのものが曖昧になった。結局、党内は「立憲改憲派」と「立憲護憲派+公明党」に分かれ、全体として護憲側に引っ張られざるを得なくなった。