袋小路に入った中道改革連合
中道改革連合がやるべきことは、はっきりしている。
党として統一する政策と、議員個人の判断に委ねる問題を明確に区別することだ。決めるとは、すべての議員を一つの意見に従わせることではない。どこまでを党の方針とし、どこからを個人の信条に委ねるのかを決めることでもある。
改憲についても、本来なら党として一つの方針を決めるべきだが、現状を見ると困難を極めるはずだ。そうであれば、採決に際して自主投票とすることを党の正式なルールとして定め、安全保障政策については、自衛隊、日米同盟、反撃能力、防衛装備品輸出を含め、現実主義を基本方針として確立したほうが、はるかに筋が通っている。
だが、現実にはそれすら難しいだろう。安全保障で現実路線を明確にすることは、立憲民主党が長年抱えてきた支持基盤の一角を、自ら削ぎ落とす痛みを伴うからだ。
しかし、国民の目に中国の軍事的脅威や台湾有事の可能性が現実の問題として意識される中で、戦後平和主義の言葉だけを抱えた政党が、大きな支持を得ることは難しい。
連合との関係も理由にはならない。同じ連合の支援を受ける国民民主党が現実路線へ舵を切っている以上、労働組合との関係は、戦後平和主義を捨てられない決定的な理由ではない。
中道改革連合が迷走している最大の理由は、自らの「決められない体質」を改めないまま、政権に対しては「決めろ」「やめろ」と言い続けていることにある。
多くの有権者側からすれば、「いや、自分たちが先に決めろ」と言いたくなるのではないだろうか。
政治とは、理想を語ることだけではなく、現実を引き受けることである。そして現実を引き受けるとは、どの政策を選び、どの支持層を失う可能性を受け入れるかを決めることにほかならない。
何も失わないように振る舞う政党は、何も成し遂げられない。決められない政党に、有権者が未来を託すことはあり得ない。
「中道」とは、道の真ん中を進むことである。どちらへ進むかも決められないのであれば、それは「真ん中」を歩いているのではない。進む方向を決められず、立ち止まっているだけである。
(評論家、翻訳家、千代田区議会議員 白川 司)







