「損切り」できる共産党、できない中道改革連合

 共産党と比べると、この違いはさらに明らかになる。

 同じ疑惑を追及していた共産党の田村智子委員長は、動画の作成・拡散に関与したと主張する実業家の松井健氏について「詐欺師で信用できない」と断じ、裏付けが崩れて「よく分からない状態になった」と公に認めた。事実認定のレベルでは、明確に損切りをしたのである。

 ただし、田村氏は松井氏の証言は信用できないとしながら、なお高市首相の秘書には参考人招致と説明を要求している。明らかに矛盾している。

 それでも、ここで完全に降りれば、結果として高市陣営を利し、ともに追及してきた中道改革連合をはしごから外すことになる。結果として、事実認定では後退しながら、中道改革連合を完全には切り捨てない対応になった。

 共産党は、支持基盤が比較的固定し、党内の意思決定が中央に集中し、基本的な思想と政策体系も共有されている。そのため、判断の是非は別として、党として一つの線を引くことができる。良くも悪くも「決められる党」なのである。

 ところが、中道改革連合にはそれができない。旧立憲民主党の右派から左派、公明党の支持基盤まで抱えているため、「これがわが党の事実認定だ」と旗を立てた瞬間、どこかが反発する。

 その結果、疑惑を事実と断定することも、根拠が崩れたとして撤退することもできず、宙づりのまま追及だけを続けることになる。

SNS時代には「ごまかし」が効かない

 政策は、ある程度まで抽象論でごまかすことができる。「福祉国家の建設が先である」「国民に選択肢を提示する」といった言葉を並べておけば、党内の右から左までを取りこぼさずに済む。

 だが、国会質問という具体的な土俵ではそうはいかない。

 共産党ですら「詐欺師」と断じた人物の証言を、なお追及材料にするのか。それとも、根拠を失ったとして撤退するのか。どちらかを選ばなければならない。

 しかも現在は、数時間前の発言と、その後の釈明がSNS上で並べて拡散される。かつてなら時間とともに薄れた矛盾が、消えずに蓄積される。きれいごとを並べながら、具体的な場面では何も決めない政治は、以前よりはるかに見破られやすい。

 私は前出の記事で、若者が高市首相に引きつけられるのは、「何かを成し遂げようとする態度」が見えるからだと述べた。

 野党という「攻撃する立場」にありながら、「結局、何も決められない」という姿が可視化される。それが、国会という場の残酷さである。SNS時代にはこれまで取り上げられることのなかった「ごまかし」がダイレクトに批判の対象になる。