自動車最強産業#38 奥田碩氏追悼2回目Photo:JIJI

元トヨタ自動車社長の奥田碩氏が8月8日に、老衰のため93歳で死去したことが分かった。1955年にトヨタ自動車販売(現トヨタ自動車)に入社。経理畑を歩み、95年に病に倒れた創業家の豊田達郎氏に代わり、トヨタの社長に就いた。創業家以外からの社長就任は28年ぶりだった。社長退任後は、トヨタ会長や経団連会長を務めた。奥田氏がトヨタ会長を務めていた2000年代前半、ハイブリッド車「プリウス」や小型車「ヴィッツ(現ヤリス)」のヒットで、同社は世界販売台数を伸ばしていた。しかしながら、「会社の最盛期は長くない」「時代に対応して変わらなければ、自然と沈滞し、つぶれる」と、好調な自社への危機感を「週刊ダイヤモンド」のインタビューで語っていた。その後のリーマンショックや大規模リコール問題による低迷を経て、今日トヨタは、日系自動車メーカーの中で「独り勝ち」といってよい状況だ。今だからこそ、奥田氏の発言を振り返る必要があるだろう。長期連載『自動車 “最強産業”の死闘』の本稿では、追悼記事の第2回目として「週刊ダイヤモンド」2001年2月3日号のインタビューを再掲載する。(ダイヤモンド編集部)

「週刊ダイヤモンド」2001年2月3日号のインタビューを基に再編集。肩書や数値などの情報は雑誌掲載時のもの

>>第1回『【追悼】トヨタ元社長・奥田碩氏が鳴らしていた日本経済への警鐘「老人がのさばるから、日本はおかしくなった」』を読む

トヨタはいよいよ最盛期だが「長くは続かない」
社員に「変われ、変われ」と繰り返している

――50年もの長きにわたってトヨタは高水準の利益を出し続けてきた。それはなぜ可能だったのか。

「金太郎あめ」だったからじゃないだろうか。金太郎あめというと、悪いことのように聞こえるけれども、高度経済成長の頃には生産性、生産効率を向上させるための大事な要素だった。

 金太郎あめであるからこそ、生産性をここまで上げることができた、そう痛感している。問題は「金太郎あめの集団」を動かす指導、方針、理念だ。それを、明確にして確実にやり遂げたことが存続し続けていられる要因だろう。

――トヨタはきわめて成長志向の強い会社といわれる。

「覇権主義」むき出しだといわれがちだが、社員全員が「もっともっと」という気持ちは常にある。その気持ちがなければ成長できないと思う。

――シェアの拡大と利益の確保。どちらが大事か。

 両方だ。シェアも利益も、両方上げなければならない。トヨタではよく、「シェアじゃメシは食えない」という言葉が出る。これは端的な例だ。利益が付いてくるようなシェアの拡大でなければ意味がない。

――モータリゼーションの進展が、その成長を支えてきたという面もある。自動車の市場拡大があってこそ、シェアと利益を同時に拡大することが可能だったのではないか。

 自動車産業ほどありがたい産業はないと思う。200万円もするものを4年に1回は買い替えてくれる。こんな商品はほかにない。恵まれた産業の中にトヨタがあった、幸運だったともいえる。しかし、その中でも優劣がつく。

――今後とも、自動車市場の拡大余地はあると思うか。

 よく分からない。21世紀初めの10~20年間は今のような自動車が残るかもしれない。しかし、それから後は技術革新が来るだろうし、簡単に生き残れるとは思っていない。相当な努力をしなければならない。

――技術革新の最たるものが燃料電池など環境関連技術だ。

 それでも「走る、曲がる、止まる」というクルマの基本性能は同じなのだから、そうした意味ではもっと革命的な話が出てこないと変わらないのでは。本当にタイムトンネルがあったらな、と思う。でも、少なくとも自動車産業は永遠だとは思っていない。

トヨタが躍進を続けられた理由を「金太郎あめ」と語り、シェアと利益両方の確保が重要だと訴える奥田氏。その一方、「会社の最盛期は長くない」「時代に対応して変わらなければ、企業は自然と沈滞し、つぶれる」と語り、トヨタ社内に対して警鐘を鳴らしていた。その“真意”を次ページで明らかにする。