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元週刊ダイヤモンド編集長が高校生向けに実施している授業「大学への経済学入門」を基にした連載『経済学タイムトラベル 歴史を動かした経済思想家たちの軌跡』。第12回はフランソワ・ケネー(1694~1774)の中編です。『経済表』で知られるケネーは医師・医学者でした。前回述べたように、医学論文を書いていたケネーが経済学に関して初めて書いた論文が『百科全書』の2項目「農夫(小作人・借地農)」と「穀物」でした。事典の項目ですからアルファベット順で、フランス語のFermiers(フェルミエ)とGrains(グラン)です。そして、実は経済学の2項目以外にもう1本、『百科全書』に書いていました。今回の中編では、啓蒙思想で近代を切り開き、フランス革命直前の市民層の知の基盤を形作った『百科全書』から始めます。
王権や教会からの圧力の中で
20代と30代の二人が主導した『百科全書』
『百科全書』のフルネームは、『百科全書、あるいは科学、技術と工芸の理論的辞典』(Encyclopedie, ou Dictionnaire raisonne des sciences, des arts et des metiers)です。全35巻といわれています。
生徒F:世界初の百科事典だったのですか?
西ヨーロッパ各地で16世紀から18世紀に博物誌や機械の図鑑がたくさん出版されたそうです。これら多くのジャンル別辞典や図鑑が、編集者ディドロ(1713~84)らの発想の引き金になったということですが、知識全般を並列してアルファベット順に配置する百科事典は、イギリスのイーフレイム・チェンバーズ(1680?~1740)による2巻本の『サイクロペディア、または諸芸・科学の総合辞典』(1728)が最初でした。
実はフランスの『百科全書』の企画は、この『サイクロペディア』のフランス語版を出そうというもので、パリの版元ル・ブルトンが同業のブリアッソン、ダヴィッド、デュランと協同で出版社を作って始まりました。そして出版社がディドロとダランベール(1717~83)を編集長に指名したわけです。1745年のことです(46年説もあり)。
生徒D:先生、経済だけじゃなく、フランスの思想や歴史にも詳しいんですね。
いやいや、この日のゼミのために調べたんですよ。もともとあまり縁がないジャンルです。そうか、はじめに参照した文献について話しておきましょう。図書館でたくさん本を調べましたが、『百科全書』の構成と成り立ち、それにケネーの関わり方については、次の2冊の本に書かれているデータを参照しました。
マドレーヌ・ピノー『百科全書』(小嶋竜寿訳、文庫クセジュ、2017)とヘンリー・ヒッグス『重農学派』(住谷一彦訳、未來社、1957)です(★注1)。以下、『百科全書』については前者、ケネーについては後者を参照しました。
ピノーの年齢はわかりませんが、ルーブル美術館、フランス国立図書館に勤務していた思想史や書物史の専門家だそうです。ライブラリアンでもあったのでしょう。『百科全書』の構成の解説に加え、執筆者など一人ずつ数百人を洗い出していて驚きました。
『重農学派』のヘンリー・ヒッグス(1864~1940)はイギリスの大蔵省(財務省)に勤務し、1892年から1905年まで王立経済学会事務局長、そして「エコノミック・ジャーナル」編集長でした。そのうち登場するケインズと、ここまでは同じような経歴ですね。
生徒A:二人の編集長の生まれた年から計算すると、ディドロは32歳、ダランベールは28歳だったのですね。若いなあ。それにしても、35巻もの百科事典とは、ものすごい編集作業の量です。
たしかに若い。百戦錬磨のフランス知識人を糾合して大量に書かせようというのですから、編集のワザとともに大きなエネルギーが必要だったのでしょう。
全35巻の内訳ですが、事典の本文が17巻あります。第1巻から第7巻までがル・ブルトン(1708~79)による出版で、第8巻から第17巻まではパリを離れてスイスのヌーシャテル印刷協会が発行元になっています。パリでは当局の圧迫で発禁処分を何回か受けました。王権や教会批判を含む内容ですからね。
しかし、守ろうとする当局者もいて複雑です。そもそも権力の頂点にいたヴェルサイユ宮殿のポンパドール夫人がサポートしていました。スイスの発行元は、実はダミーで、実際はパリで同じメンバーが編集・印刷・発行していたといわれています。現在はこれが通説のようです。この17巻だけに限定して「全17巻」とする専門家もいますが、私は全35巻説をとります。
生徒B:第18巻以降はどのような内容なんですか?
本文 17巻は1751年から65年に出版され、AからZまで収録されています。これが事典の本編ですよね。次の11巻は1762年から72年に並行して出版された図版編なのです。
生徒B:事典の本編17巻に対して図版編が11巻もあるんですね。
そう。大航海時代や重商主義の時代に、世界各地の博物誌、旅行記、図鑑類がたくさん出版されていて、17世紀の科学革命を背景に、図版は非常に重要なツールだったのでしょうね。さらに補遺4巻、図版補遺1巻が1776年から77年、索引2巻が1780年に出版され、これらを含めて全35巻です。
生徒C:きのう、近所の公共図書館で平凡社の『世界大百科事典 改訂版』(2006)を閲覧したんですが、たしか全35巻でした!
へえー、それは面白い偶然ですねえ。平凡社の『世界大百科事典』は、1984年版から編集長は加藤周一氏でした。日本の「百科全書家・新井白石」を高く評価していた批評家です。
驚くべきは編集者ディドロが図版編でも、企画編集、画家・素描家・彫刻家との打ち合わせ、仕様の指示、さらに解説の執筆・編集も行なったそうで、非常に優れた編集者であることがわかります。補遺と索引は書籍商パンクーク(1736~99)がディドロなどの権利関係を整理しつつ刊行したということです。35巻のうち、補遺と索引を除く初版のル・ブルトン版は28巻ということになりますね。なお、補遺は複雑で、いろいろな版がありますが、ややこしいので今回ははしょります。自分でピノー『百科全書』を読んで調べてください。
次ページのポイント
(1)ケネーによる3項目は『百科全書』第6巻と第7巻
(2)本編とは別に図版編11巻であらゆる産業・職業を図解
(3)刊行中断期間にケネーが準備していた項目







