経済学タイムトラベル 歴史を動かした経済思想家たちの軌跡

元週刊ダイヤモンド編集長が高校生向けに実施している授業「大学への経済学入門」を基にした連載『経済学タイムトラベル 歴史を動かした経済思想家たちの軌跡』。第11回はフランソワ・ケネー(1694~1774)。ケネーが著した『経済表』(Tableau economique, 1758★注1)は、資本・マネーを人体に流れる血液に見立てた資本の循環表です。『経済表』は歴史上最初の「マクロ経済分析」と評価されています。そして、ケネーの考え方は重農主義(仏physiocratie、英physiocracy=フィジオクラシー=自然の支配)と呼ばれています。農業・自然が支配する経済システムとは、どのようなものだったのでしょうか。

価値の源泉を「農業」に置いたケネー
重商主義を真っ向から否定した重農主義とは?

 今回は、歴史上最初の「マクロ経済分析」と評価されている『経済表』をおよそ270年前に著したフランソワ・ケネーです。

『経済表』は、価値の源泉を「農業」に置き、資本の流れゆく先は「工業」で、農業生産物を加工する部門です。そして「商業」は、利潤を乗せるだけとされています。

 さらに、1766年のケネーの論考「経済表の分析」では、「国民は生産階級、地主階級および不生産階級という、三つの市民階級に集約されるものとする」(★注2)と定義しています。つまり農業だけが生産的であり、工業や商業は非生産的で、国の豊かさは農業に依存するというわけです。『経済表』は、農業を基盤として、あとは自由な交易に任せれば(自由放任主義)、価値は段階的に波及していく構造を図示しています。ケネーのこの考え方を重農主義(仏physiocratie、英physiocracy=フィジオクラシー=自然の支配)といいます。

「国民は生産階級、地主階級および不生産階級という、三つの市民階級に集約」ということですが、生産階級は農民、不生産階級は商工業者のことです。ケネーは、農業が生み出した余剰(純生産物)が、地代や購買を通じて各階級の間をどのように流れ、翌年の「再生産」にどのようにつながるかを数量的に図解しました。資本・マネーがぐるぐる回るという認識は現代人の常識ですが、ケネーが最初の発想を生んだのです。この再生産という視点は、アダム・スミス(1723~90)、カール・マルクス(1818~83)、そしてレオンチェフ(1906~99)といった近現代の経済学者に多大な影響を与えました。

生徒C:重商主義(Mercantilism=マーカンティリズム)に対して、農業を起点とする重農主義ということですね。

 そうです。重農主義は、金銀など貴金属の蓄積や貿易差額の獲得を国富とする重商主義を真っ向から否定した経済思想です。ケネーの批判の対象はイギリスのトーマス・マンやジェイムズ・ステュアートではなく、フランス重商主義の超大物、ルイ14世時代の財務総監ジャン=バティスト・コルベール(1619~83)でした。

生徒C:価値を生むのは農業だけだというのも極端な視点ですよね。

 国富の源泉が農業で、農業生産物の価値が商工業に波及し、付加していくという流れです。ただ、価値の源泉を農業だけに見出すのは、産業革命直前の経済思想の限界でしょう。しかし、地球温暖化や気象変動の激化に翻弄されている現在、自然が支配する農業を最重視するケネーの発想を見直してもいいかもしれませんよ。

 それに、経済を生物になぞらえて分析するのもケネーが初めてでした。資本の循環をフローチャートに描いた『経済表』は、歴史上最初の「マクロ経済分析」だと評価されています。画像を見てください。ギザギザの線が価値の流れを表しています。数字を詳しくたどっていきませんが、チャートのイメージを頭に入れてください。地主階級は価値を付加していないのではないかと言われそうですが、彼らの需要が農業生産の投資として循環するわけです。

ケネー『経済表 第2版』(1759 wikimedia,public domain)ケネー『経済表 第2版』(1759 wikimedia,public domain)

生徒A:マクロ経済分析とは、どういう意味ですか?

 一国の経済全体の動きを、消費、投資、貯蓄、政府部門、貿易部門、金融などの統計で整理し、一定の期間の増減量や変化率で経済の動向を分析することです。

生徒A:なるほど、たしかにケネーの『経済表』は資本の流れを血液の循環のように図解し、解説していますね。どうしてお金の流れと血流を比較しようと考えたのでしょうか。もともと医師だから?

 そうですね。イギリスのアダム・スミスは、フランスへ旅行した1763年ごろ、ケネーに会ってこのお金の循環について直接教えを受けたそうです。医師で医学者のケネーは、観察、仮説、データによる検証を経て結論にいたる「科学方法論」で資本の循環を描いたわけですね。血液の循環とお金の循環を結びつける発想は自然だったのでしょうが、医師がどうして経済に関心をもったのでしょうね。

 ケネーの人生を編年でたどってみましょう。岩波文庫版『経済表』(2013)の訳者、井上泰夫・名古屋市立大学名誉教授による解説と、『経済思想史辞典』(★注3)のケネーの項(菱山泉氏執筆)を参照しました。

1694年…ヴェルサイユ近郊の農家に生まれるが、パリで版画師の修業の後に外科医(シルルジアン)を職業とする。18世紀の外科の技術は瀉血(★注4)によるもので、内科医など一般的な医師(メドゥサン)より当時は格下だったという。
1718年…外科医の資格を得て開業。王立外科医学院常任幹事として、外科医の地位向上のために内科医と論争。
1744年…内科と外科の統合をめざすケネーは、医学博士号も取得。
1749年…ルイ15世の寵姫ポンパドール夫人(★注5)の侍医に抜擢され、ヴェルサイユ宮殿に常駐。
1755年…ポンパドール夫人の推挙でルイ15世の顧問医に就任。ヴェルサイユ宮殿の中2階の部屋を提供された。経済学に関心を持ち、さらに哲学、社会問題全般へ向かう。少年のころより読書量が多く、もともと教養の幅が広い。折から啓蒙思想の時代。
1756年…初の経済学の論文「農夫(フェルミエ)」が『百科全書』第6巻に掲載された。
1757年…「穀物(グレイン)」が同第7巻に掲載。
1758年…『経済表第1版』をヴェルサイユ宮殿で印刷し、出版。
1759年…『経済表第2版』、『経済表第3版』を出版。
1764年…最大の後援者だったポンパドール夫人、死去。
1764年~66年…大陸欧州滞在中のアダム・スミスと会う。
1774年…『経済表』の彫琢を続け、80歳で他界。

 外科医から出発し、内科医の資格も得て、さらに社会経済への関心もあり、経済と生命を相似形のように考えることになったのでしょうね。1727年から医学の論文を発表していますが、1736年には「生命体の経済に関する自然学的試論」を書いています。

 17世紀後半の科学革命の時代にニュートン力学が生まれ、王権神授説(王権は神から与えられたので世襲を不変だとする考え方)を否定して、社会は自由で平等な個人が相互の契約によって成立するという社会契約説がイギリスやフランスで広がっていきます。

 王家の金庫に納める金銀が国富だという重商主義への反発は当然出てきますよね。ケネー(1694~1774)は社会契約説の論者ジャン=ジャック・ルソー(1712~78)や三権分立論のモンテスキュー(1689~1755)と同じ時代に活躍した人ですから。

次ページのポイント
(1)コルベール主義を批判するケネーのポイント
(2)ケネーは啓蒙思想の集大成『百科全書』に参加した
(3)啓蒙思想の拠点はヴェルサイユ宮殿だった