長屋流ブランディングの原点とは
──レクサスで学んだパイの広げ方

 僕のブランディングの原体験は「レクサス」です。

 トヨタには車のデザイナーとして入社しました。レクサスの初代グローバルブランドマネージャーを命じられたのは2003年。このとき、米国で1989年に発売されたレクサスは、すでに高級車ブランドとして大成功していました。問題は、同じ車が日本では「セルシオ」として売られていて、二重ブランド状態だったこと。

 日本にもレクサスを導入し、グローバルブランドとして統一するに当たって、トヨタはブランドの総本山を技術本部に置きました。営業サイドに置くと、すでに成功している米国の営業の発言権がどうしても強くなり、主導権が取れないからです。

 ここに僕が放り込まれた。上司から「ブランディングなんてデザインみたいなもんだからやってみろ」と、いきなり任されたのですが、今思えば、すごい名言です。ブランディングは、まさに経営のデザインですから。

 僕の使命は、レクサスを正真正銘のプレミアムブランドにすることでした。日本と米国の二重ブランド問題だけでなく、米国でも下位モデルのレクサスESはカムリとプラットフォームが同じで、「レクサスの皮をかぶったカムリ」などとやゆされていました。これは絶対に解決しなくちゃいけない。

 そこで、どうしたか。車の造り方を変え、プロモーションのやり方を変え、世界初といえる結果を出しました。
 
 まず、ファクトベースで「レクサスだけのものづくり」を徹底しました。500項目以上の製造ルールを設定し、レクサス専用部品を開発したのです。これで「ねじ1本まで100%レクサスだ」と言えるようになりました。トヨタとしては共通部品にした方がコストは下がりますが、それじゃ差別化になりません。

 プロモーションでは、05年のグローバルローンチに合わせてミラノサローネに出展しました。今では世界中の自動車メーカーが出展していますが、製造業として初めてアートエキシビションに出展したのがレクサスです。

 結果として、レクサスは世界的なプレミアムブランドへと成長しました。世間では「レクサスがベンツやBMWに勝った」みたいな捉え方をされていますが、実はそうじゃない。レクサスの真の功績は、大衆車をベースに高級車を生み出す方法を発明したことです。

 既にある土台を活用して、全力で性能を向上させる。レクサスはこのやり方で「血統ある老舗の手作り」という欧州の高級車の常識を変えた。レクサス方式が業界に広がることで、量販高級車(ニアプレミアム)というジャンルも生まれました。僕の試算ですが、この30年余りで高級車市場は約24倍にも伸びています。

 つまり、レクサスは競合からパイを奪ったわけではなく、パイそのものを大きくした。高級車の造り方を世界に教え、高級車市場を育てたのです。競争ではなく機会創出。この発想を突き詰めた先に、僕の提唱する「インクルーシブブランディング」があります。