岩尾 文王は正しい経営を行ない、そのおかげで自然と民衆が彼のもとに集まった。民衆は鞭打たれずとも働き、仕事も早く終わった。こうして豊かな国を実現したと伝えられています。『論語』の理想が経営にあったことを知って以来、私は経営学に東洋哲学を結びつけて考えるようになりました。

野中 なんだか私と似たところがありますね。私の場合は、先に企業での直接経験、つまり暗黙知があった。そこから米国に留学し、カリフォルニア大学バークレー校では指導教官フランセスコ・ニコシアのもとでマーケティングを専攻しました。彼が基盤にしていたハーバート・サイモンの組織論に私も影響を受け、当時は人間の価値前提を排し、情報処理の科学的なプロセスに重きを置く「サイモニアン」でした。

 博士課程では副専攻で社会学を選び、アーサー・スティンチコームの指導を受けて、方法論と理論づくりを徹底的に学びました。

 しかし帰国後、『失敗の本質』を経て「知識創造理論」を構築していく過程で、数値や分析の形式知だけでは説明できないことが出てきました。そして、形式知の源泉としての暗黙知が経営理論に必要だという考えに至りました。新しい意味や価値の創出という知の創造プロセスを追求するためには、経営学と哲学の綜合に挑戦するしかないわけです。

 そうして、ギリシャ哲学に始まり、ホワイトヘッドのプロセス哲学、そしてフッサールの現象学に影響を受けました。フッサールは、日本の専門家・山口一郎さんと交流を重ね、難解な思想を必死で学びました。SECIモデルの起点である共同化や表出化は、まさに現象学なんですよ。自分が哲学を学ぶなんて思ってもいませんでしたが、結果として、経営学と哲学をなんとかインテグレイト(統合)できた。

『武器としての経営思考』書影『武器としての経営思考』(岩尾俊兵、PHP研究所)

 経営を人間の生き方の問題として捉えるならば、古典から説き起こさねばならない。その点について、あなたに同意します。

岩尾 ありがとうございます。私は野中先生の著書を読むたびに、西洋哲学の裏に、むしろ東洋哲学に通じるものを感じます。というのも、東洋哲学には「知行合一」という言葉がある。「知る」と「できる」とは、表裏一体なんです。

 もし経営学者が、現場経験を一切もたないまま、理論とデータだけで理論をつくったとしても、おそらくそれは「知っているけれどできない」学問になってしまう。その点で先生の学問は、ひたすら理論を突き詰めていく西洋哲学とは一線を画する気がします。実践に基づく、血が通った思想に根ざしていると思うのです。

野中 ありがとう。それはまさに、私が探求してきた「実践知」ですね。