1984年というのは、2度の石油ショックを経て高度経済成長が終わり、日本経済は次の成長の道筋を模索していた時期だ。米国の経営学者ジェームズ・アベグレンは、58年に出版した『日本の経営』(ダイヤモンド社刊)の中で、戦後日本の急成長を支えたのは「終身雇用」「年功序列」「企業内組合」に代表される「日本的経営」にあることを突き止めたが、堺屋はすでにその効力が失われていると指摘している。
当時は、堺屋が名付け親である「団塊の世代」が40歳前後。高度成長期の日本企業は、中高年が少なくて若年層が多いピラミッド形の人事構造になっていて、それが成長の原動力の一つとなっていたが、これから中高年がだぶつき始めると、成長を阻害する要因になると堺屋は言う。
ところが、戦後の日本には終身雇用が定着してしまい、なかなか正社員を首にできない。戦前の日本は世界一首切り率の高い国で、決して職場福祉の国ではなかったのに、戦後の圧倒的多数の日本人は“会社”に福祉を期待するようになっている。こうした戦後の特殊な雇用環境の維持は難しくなっていくと、堺屋は懸念を投げかける。
また、同じく歴史に学べば、30年以上繁栄を極める産業はないとも堺屋は言う。だとすれば個人としては、同じ業界、業種に居続けることはリスクでしかないのに、会社にしがみつこうとする。一方、大企業は、答えのある問題のみに適応した試験秀才ばかりを採用してしまい、未知の分野への挑戦に後れを取る。「そういう人を採用する一番の一流会社は20年後には必ず衰退する」と堺屋は喝破する。そして、ドイツ参謀本部の人事管理で用いられている「その職に就くことを目的としている者をその職に就けるな」という言葉を引用し、「社長になることを目的としている人を社長にしたら、なった途端に目的が終わったわけだから、働かない」とも語っている。
岸田文雄首相は2022年を「スタートアップ創出元年」として、官民を挙げてスタートアップ支援強化を行うと宣言している。堺屋が40年前に発していた警告の通り、新規分野へのチャレンジと産業の新陳代謝こそが、成長のエンジンであるのは間違いない。(敬称略)(週刊ダイヤモンド/ダイヤモンド・オンライン元編集長 深澤 献)
終身雇用制はたかだが30年
かつて日本は首切り大国だった
日本の高度成長は約30年間続いた。その後、あの石油ショック以来、企業の経営もかなり変わった。これを振り返ってみると、第1回の石油危機、石油ショックの後の不況で、日本の各企業、産業界は物の無駄をなくすることで不況を乗り切った。部品や製品の在庫をできるだけ減らし、遊休資産を活用または売却することに熱中したものだ。
第2回目の石油危機、1979年のイラン革命から始まった第2次石油危機の後の80年代初頭の不況に当たっては、企業は財テクということで、お金にもうけさせる、稼がせるということに、今、非常に熱心になっている。
恐らくこの次、86年以降に起こる不況の後では、やはり一番大事なのは、人の無駄をなくすること、人の生かし方になってくる。従って、ヒューマンウエア(対人技術)の問題が非常に重要になってくるということだ。
ちょうどその時期には、大抵の企業で、高度成長時代に大量に採用したいわゆる“団塊の世代”、47~50年ぐらいに生まれた人たちが、40歳前後となり、これまでの慣例なら管理職になるところへ来る。
ところが、高度成長の間、日本の企業の人事構成は、中高年が少なくて若年層が多いピラミッド形の年齢構成になっていた。実はこれが日本の高度成長の原因の一つであり、年功序列、終身雇用が可能になった主要な原因でもある。日本において今日のような特殊日本的労使慣行、つまり、終身雇用と年功序列を前提とした人事管理が行われるようになったのは、戦後のことである。これを日本的温情経営の結果である、日本人の民族的性格だ、と言う人もいるが、これほど間違った話はない。
事実、37年まで、日本は世界一首切り率の高い国であった。いつでも従業員を増やし、いつでも首にできた。しかも首切りをしてもいいという理論的根拠までつくられていた。これが有名な出稼ぎ型労働理論というものである。
今、出稼ぎというと、季節出稼ぎのことをいうが、本来、出稼ぎというのは農家の次、三男が都会に出てきて働くことをいった。こうした人々は、景気が悪くなると、首になって、親元に帰る。ふるさとに帰れば、そこには親、兄弟、親類縁者が農業などをしていて、温かく迎え入れてくれる。
人間一人をもってみると、すぐ首だというといかにも冷酷に聞こえるけれども、それでうまくいった。だから日本では首切りも許される。労働組合をつくって労使対立する必要はないのだ。こんな理論が戦前にはまかり通っていたのである。