キリスト教を捨てなかったのに
行長が立場を守れたのはなぜか
一方の行長は、大名としての立場を失わずに済みます。それどころか彼の人生は、バテレン追放令以降に一気に右肩上がりになってゆきます。ただし、行長は決してキリスト教を捨ててはいませんでした。なぜでしょう。
行長は、表向きはキリスト教を捨てたとしながらも、実際には信仰を持ち続け、秀吉の命令に正面から逆らう道を選ばなかったのです。政治の場では、秀吉の求めに応じて軍事や外交の任務を担い、政権内で立ち回ったといわれています。
宇土(うと)城に立つ小西行長の像
行長には水軍や海上交通など、船を動かす能力があったことも、もしかしたら追放されなかった要因のひとつかもしれません。替えが利かない「特殊能力」を持つ武将だったことが、行長を救ったのです。
また、信者歴の差も、大きかったはずです。12歳前後の少年時代に洗礼を受け、既に二十数年も信者だった右近。一方の行長は、先の1584年入信説をとるなら、信者歴はまだ3年。秀吉からみてどちらが危険と思えたか、想像に難くありません。
ちなみに右近の洗礼名「ジュスト」の意味は「公正」。熱狂的な信者として、その名に恥じぬ行動をしたことが、凶と出てしまったとも考えられます。
高槻城に立つ高山右近の像
と、このように書くと行長が「狡猾なやつ」に見えてしまいますが、実はそう単純ではありません。追放され路頭に迷った右近を、行長は領地の小豆島でしばらく保護しています。さらに秀吉に対して、右近への処置を撤回するよう諫言(かんげん)も。
キリシタン大名の同僚として、できる限りのことはしようとしたのでしょう。







