数学者は統計学者になれるのか?
――なるほど。そういう人に「データ解析のプロです」と名乗られると、たしかに危険に感じますね。では、彼らが数理統計学などを勉強すれば、いまご指摘のあった辺りは解決されると見てよいのでしょうか。
竹村 まあ、そうですね。たしかにある程度まで、数式がわかっていたほうがいいとは思います。けれども、「では、数式のわかる数学者は統計学がわかるのか?」というと、これが必ずしもそうとは言えない。そこが複雑なんですね。
統計学というのは数学だけではなく、医学、薬学、経済、心理、ビジネスなど、応用分野での知見をある程度まで持っていないと通じない、という面があるんですね。数学者から見ると、統計学で使う数学自体はやさしいレベルです。ただ、統計ではきちっと「解」を定められず、解に幅があったり、なぜその分析手法を適用したのかという判断が人によって違ってきたりという複雑さがある。そうなると、純粋数学者にとっては「統計は不可解なもの」と映りますよね。
西内 そこにとんでもない誤解も生まれてくるんですよ。「俺は数学者としてやっていくには自信がないから、統計学者にでもなるか」といった転向組です。数学ができさえすれば統計学がわかるというほど世の中単純じゃないですよ、と言いたくなりますね(笑)
――そのような人に足りないのは、どういう部分だとお考えでしょうか?
西内 「意思決定」のような価値観が、数学の中には存在していない、ということではないでしょうか。数学には「最適解はどこか?」という話はあっても、「最適解でないとダメなのか?」という話は出てこないですよね。統計学のすごく重要なところは、1点だけの絶対的な解とはならないことではないでしょうか。竹村先生が先ほど指摘された「解に幅がある」ということです。「意思決定としてはこちらのほうが有利になるのではないか」とか、「これなら間違えるリスクが低いのでは……」のようなことです。
抽象的な世界から現実的な問題につなげる──その部分こそ、この百年間、統計学者が一番知恵を絞り、格闘してきたところではないかなと、私は考えています。数学者にとっては、最適化問題のようなところで予測精度の一番高いモデルを作ることは得意ですが、「では、実際にどうしましょうか?」と人間社会の解決策へ具体的に落として込んでいくとき、数学者は困ってしまう。その現実的な解を示す役割──それこそ、統計学が担っていることではないかと思いますね。
竹村 そうですね。統計学と数学の違いを別の例でいうと、「何が原因で、何がその結果か」を具体的に考える必要があるか否か、その違いともいえますね。
たとえば数学では変数のことをxと書きますよね。y=axみたいに書いて、xが変わる(原因)とyも変わる(結果)わけで、数学では「原因とその結果」は数式できれいに表わせるわけです。でも、統計ではそう簡単には言えません。何が原因で、何がその結果であるか、それが必ずしも現実社会では明らかではないことが多いという意味です。ですからいったん「x」と書いても、その変数xが本当に原因となる因子なのかどうか、実際にコントロールできるものかどうかが明確ではない。xのさまざまな事情、背景を知らないで数式だけを追っていくと、その辺のカンが働かなくなるところがあるんです。その意味では非常に複雑なのです。