ニューコン社長 王 春華(撮影:宇佐見利明) |
松下電器産業のエンジニアを超える研究開発をしよう――大志を抱いて日本に留学した王春華は、彼我の技術力の差を目の当たりにして圧倒される。
1984年、41歳のときだ。王は上海科学技術大学電子工学部を卒業後、国営会社に就職。電子関係の研究開発に明け暮れていた頃、開放政策で留学枠が広がり、京都大学大学院に招聘学者として国費留学を果たす。だが、日中の技術格差は2年間の留学期間でキャッチアップするには大き過ぎるように思えた。
現実を知った王が注目したのが、任天堂。「大手電機会社が力を入れていないテレビゲームで急伸していた。技術力で勝たなくても、ビジネスの方法で成功できる」ということに目覚めた。
国営企業中心だった中国での起業は考えられなかったが、「日本でなら、できる」。起業家への思いが芽生えた。その夢を「いつか日本で起業すべきだよ」と後押ししたのが、同じ時期に上海から留学していたモー・バンフ(現在ジャーナリスト)だった。
国費留学生は、帰国後3年は国の機関に勤務しなければならなかった。王は5年間、税関システムの構築に責任者として従事し、これを完成させた。
その間、資金を貯め、91年に私費で再来日を果たす。所持金は2万円。ひと足早く日本でジャーナリスト活動を始めていたモーから、資金や生活で支援を受けた。
当初は華僑会社の日本支社として仕事を始めた。就労ビザが取れないためだ。実績を積み、91年暮れ、ニューコンを起業。5年間は、中小の医療機関向けに臨床検査システムを販売していた橘電気の下請けだった。