1月初旬にパリで週刊新聞社を狙ったテロが起こる一方、イスラム国が邦人2名を拘束し身代金を求める事態も発生した。いまやテロの脅威は世界を覆いつつある。現在のテロのは、国外からもたらされるものばかりでなく、自国内で成長した人々による「ホーム・グロウン」テロリストによるものだけに、防ぐのは一層難しい。テロの背景と対応策を探る。
なぜフランスにイスラム系移民が多いのか
1月7日から9日にかけパリとその近郊で起きたテロ事件では、週刊新聞「シャルリー・エブド」で編集長や風刺漫画家など12人、女性警官1人、スーパーマーケットで人質4人が殺害され、犯人3人も射殺された。11日の追悼行進にはパリで120万人、フランス全土で370万人が参加し、約50ヵ国の政府首脳も参列した。
14日に発効された「シャルリー・エブド」の特別号は、表紙に預言者ムハンマドがテロ事件に抗議する「私はシャルリー」のプラカードを掲げている漫画を掲載し、400万部を即日完売、700万部に増刷した。1部3ユーロ(約400円)の同紙の発行部数は従来は3万部と言われるから、4年分余の売り上げを1回で達成したことになる。同紙への寄付も2億円に達し、世界に名が売れたから、この小さい週刊紙は確固たる地盤を築くこととなった。テロが犯人の意図とは全く異なる結果を招いたことは歴史上多いが、これもその一例となった。
さらにこの事件はヨーロッパ各地にすでに拡がっている反イスラム感情を助長する可能性が高い。フランスは1830年から1847年にかけてアルジェリアを征服し、1914年~18年の第1次世界大戦では17万人余のアルジェリア人がフランス軍に動員され、この大戦中、および戦後の労働力不足から多くのアルジェリア人がフランス本土に渡って働いた。これがフランスのイスラム系住民の元となった。1954年から62年の独立戦争の結果、アルジェリアは独立したが、フランス軍側に加わって「民族解放戦線」と戦ったアルジェリア人兵士(アルキ)約25万人とその家族の多くは報復を恐れてフランスに脱出、集団となって住み着いた。また60年代のフランスは経済成長で労働力が不足したため、アルジェリア人や旧フランス領のアフリカ諸国から移民約100万人を受け入れた。
こうして今日フランスには500万人以上のイスラム教徒が居住し、人口6400万人の約8%を占めるにいたった。その大部分はフランス生まれの2世、3世でフランス国籍を持つが、北アフリカ(アルジェリア、モロッコ、チュニジア)出身者の失業率は20%を超え、地域のよっては40%とも言われる。アラビア系の氏名や住所を告げるだけで面接を断られることもあり、職に就けてもパートタイマー店員や、家事代行、警備員、建設労働者、ホテル・レストランなどの低賃金、不安定な職が多い。その大半は都市近郊の低所得者用の公営団地で育ち、被差別意識が強く、犯罪に走る者も少なくない。2005年10月にはパリ近郊で大暴動が発生、全土に波及し11月に鎮圧されるまでに乗用車9000台が焼かれ、逮捕者は3000人に達した。