先月23日、自民党の二階俊博総務会長率いる民間人3000人が北京市の人民大会堂を訪れた。習近平国家主席も出席した夕食会では、和太鼓や京劇を交えての交流などがにぎやかに行われた。
この夕食会では習近平国家主席が演説に立った。習氏が日中関係について演説するのは初めてだ。中国側も今回の訪問を重視した。
今回の習氏の演説は予め計画されていたものではなかった。出席者のひとりは『さんざん待たされた挙句のビッグサプライズだった』と語る。
翌日、日本の新聞各紙はこれを取り上げた。毎日新聞は「日本側には日中関係が急速に改善するとの楽観論はない」とし、「関係改善なお手探り」と見出しを添えた。
一方、中国大使館は習氏が行った演説の全文を日本語に訳して公開した。同時に、日本における中国エキスパートたちは、「習演説」から手がかりを得ようとこれを熟読した。
元チャイナスクールの外交官は「この文章には習氏が日本に寄せる個人的な思いが存在する」と指摘する。
それが色濃く現れているのが次のような一説だ。中国大使館のHPより引用する。
「1週間余り前、インドのモディ首相が私のふるさとの陝西省を訪問し、私は西安でモディ首相と共に中印の古代文化交流の歴史を振り返りました。隋唐の時代、西安はまた中日友好交流の重要な門戸でした。当時、日本から多くの使節や留学生、僧侶が来て学び、生活しました。その中の代表的人物が阿倍仲麻呂で、中国唐代の大詩人、李白や王維と深く友情を結び、感動的美談を残しました」
「私は福建省で仕事をしていた当時、中国の名僧、隠元大師(※)が日本に渡った話を知りました。日本で隠元大師は仏教の教義だけでなく、先進的文化と科学技術も伝え、日本の江戸時代の経済・社会発展に重要な影響を与えました。2009年、私が日本を訪問した際、北九州などで両国人民の途切れることのない文化的根源と歴史的つながりを直接感じました」
(※)注:福建省出身の名僧。隠元禅師は江戸時代初期に日本に渡来、そののちに黄檗宗を開いた。1917年に大正天皇から「大師号」を勅旨される。
25年間、中国と関わった元外交官は「私の知る限りにおいて」と前置きしつつ、「政権の座についてから、日中関係を語る中で、出身地の西安や赴任した福建省など個人的なエピソードを交えたのは初めてではないか」と語る。