「優秀な人ほど英語が堪能」は嘘
英会話能力よりも大切なものとは?
本連載「黒い心理学」では、ビジネスパーソンを蝕む「心のダークサイド」がいかにブラックな職場をつくり上げていくか、心理学の研究をベースに解説している。今回のダークサイドは日本人の持つ「恥の文化」である。
このところ、日本の企業の方々にあってお話を伺う機会が多い。もちろん筆者自身の研究のためなのだが、その研究プロジェクトには、外国人も入っているため、基本は英語での会話になる。
読者の皆さんが、海外からの研究者が英語でお話を伺いたい、と申し出て来たら、どう感じるだろうか。「全編英語はちょっと…」と思う人も多いかもしれない。事実、企業でお話を伺う際にも、英語力に自信のある人ならば受け入れてくれるが、そうでない人は、最初は二の足を踏むことが多い。筆者が通訳するので日本語でも大丈夫と伝えて、やっと了承していただくこともしばしばだ。
だがそうやって多くの人にインタビューをしていくと、意外なことがわかった。お話を伺うのは、老若男女問わず、企業の一般社員からエグゼクティブまで、さまざまな人がいるが、その中で、特に優秀だと感じた方々に共通するものがあった。
それは「優秀な人ほど英語が堪能」というような、短絡的なものではない。彼らの英語会話能力が高いかというと、決してそうではない。
ある新興企業のエクゼクティブにお話を伺ったときのことだ。彼はまだ30代前半、友人とともに起業して数年目である。業界ではすでに名の知れている人で、会社も今現在躍進中だ。そんな伸び盛りの企業なので、社内の雰囲気もポジティブで明るい。夜の比較的遅い時間に伺ったにもにもわらず、会議室はすべて使われていて、なかなかインタビュー場所が見つからなかったほどだ。
そんな会社の中枢にいる彼は、これまでお話を伺った中でも、突出して優秀だと感じた。彼は会社のビジョン、それを実現するまでの戦略、およびその戦略を随時修正するやり方、そして社内全体への目配せなど、30歳そこそことは思えない聡明さと視点を持っていた。