日本を代表する観光都市である古都・鎌倉。この街はまた、首都圏有数の高級住宅地という一面も持っている。温暖な気候、歴史、風土、自然に恵まれた環境は、文学者をはじめとする多くの人々に愛され、育まれた。そして今も、四方を海と山に囲まれたサンクチュアリは、まさに憧れの街と呼ぶにふさわしい。
[妙法寺 石段] 別名「苔寺」。 この石段が苔寺とよばれる由来となっている。 |
鎌倉がいわゆる「高級住宅地」と一線を画しているのは、その『飛び地』的な存在からだ。すなわち都心を中心とした位置関係と距離で決まるステイタスとは、まったく根拠を異にしているのである。
東京まで1時間以内、という横須賀線の便を、遠い、とは決して言えないが、それにしても鎌倉は、その沿線の東京寄りの各駅、戸塚・東戸塚・保土ヶ谷周辺よりも、地価でがるかに上をいく。首都郊外の常識に当てはまらないこの逆転現象は、鎌倉の住宅地の大きな特徴である。
付近の街を圧して、ここだけが特別の場所
この理由を考えるには、やはり相当の昔にさかのぼらなければならないだろう。といっても、鎌倉幕府の存在がそのまま現在に受け継がれている、というものでもない。それどころか14世紀の幕府滅亡後は、この一帯はひなびた農漁村に逆戻りしているのである。
住宅地として考えるならば、江戸時代から始めるのが正しい。江戸中期、将軍徳川家斉による鶴岡八幡宮の再建。これが、忘れ去られていた旧都に目を向かせる契機になった。残されていた大社寺とともに参拝客が増え、鎌倉は生気を取り戻す。
そして明治21年、横須賀線の開通は交通の便のいい避寒地としての存在を人々に気付かせた。多くの名士が別宅を構える通年型の別荘地として、鎌倉が急速に発展しはじめる。