私はこれらを並べて「パクリだ」「盗作だ」と言うつもりはない。コンセプトレベルでは似通っていても、後発作品それぞれにオリジナリティがあり、完成度が上がっているからである。表現レベルではまったくの別物だと言える。物語でも製品でも、本質を学んで真似をするのは「良質なパクリ」だと思う。それはまったく問題ないし、そもそも、「どんなものにも似ていない、まったくのオリジナルのもの」など、この世にそうはないのだ。

 とはいえ、良いパクリと、悪いパクリの区別は難しい。先のB社にしても、彼らとしては友人の会社からコンセプトを学んだものの、そのままでは成功できないので、違う形にして(すなわち良いパクリをして)事業に参入したのだ、と言い張るだろう。これからは多少の類似があっても、「オマージュです」といって逃げ切ろうとする人も出てくるに違いない。

よかれと思ったシェアにも危険が!
流行りの「シェア文化」に感じる不安

 ここまで読んだところで、「うちの会社はパクリなんてしないよ」と思われた方も多いのではないだろうか。たしかに、まともな企業であれば、社員に「パクリ」を奨励したりはしない。しかし、「シェア」はどうだろうか。たとえば、企画書や提案書、議事録、メモ、営業プロセス、スケジュール……。最近では、ライブラリやスケジューラーで、ある程度まとまった社員の中で情報が「シェア」されている企業も多い。しかし、これは本当に「シェア」してもいい情報だろうか。

 たとえば、顧客の問題解決を意図して作成されたオリジナルな企画書や提案書が他の社員の目に触れれば、「そこから着想を得て(無意識にパクって)」同業他社にもっといい提案がなされてしまう場合もあるだろう。顧客との会議の議事録は本当に関係者内にしか見られないようになっているのだろうか。そして、その情報は社内の別の人に「ここだけの話」として語られないだろうか。(「ここだけの話」ほど、どんどん拡散するものはない!)プロフェッショナル倫理に厳しいわずかの優良企業を除いて、そのあたりは大変ルーズである。