しかし、これは少なくとも欧米一般の考え方とは異なる。これについては以前に、当連載の第115回でもお伝えしたことがあるが、欧米ではいわゆる「寝たきり老人」がいない。それは生きる力をなくした老人は「殺してしまう」からだ。たとえば、イギリス、デンマークなどでは自力で食事ができなくなった高齢者に対し、延命のための胃ろうは施さない。スウェーデンも同様。また、肺炎を起こしても抗生剤の注射はしないという。ニュージーランドでは、ある年齢(たしか75歳だったと記憶している)を越えると病気になっても治療しないそうだ。つまり、「人間は死ぬべき時に死ぬべき」という考え方だ。

 こうした国では、90代の高齢者のためにドクターヘリを飛ばすのか飛ばさないのか、脳血栓で倒れた高齢者を救急車が病院に搬送するのかしないのか、そこまで詳しくはわからないが、前述した基本的な考え方から言えば、曽野氏の主張のようにドクターヘリや救急車の出動を拒否してもおかしくない話である。

 このようなことを書くと「かわいそう」という感情から反発する読者もいるかと思うが、「かわいそう」という感情は極めて主観的なもので、往々にして当事者の意向を無視して「自分の正義の押しつけ」になりがちだ。「高齢者のドクターヘリの要請を批判すること」に対して反論する人たちには、「人は誰でも生きたいと思っている」という認識がベースにあると思うが、それでは世の中にたくさんいるかもしれない「1日も早く死にたい」と考えている老人たちの苦しみについては全く視野に入っていないとも言える。

 曽野氏が引き合いに出したドクターヘリを要請した90代の高齢者にしても、ヘリを要請したのが一体誰だったのかは報道からは判別できない。当人は脳血栓や心臓麻痺で意識を失っていて、家族が要請したことも考えられるわけで、むしろ常識的に考えてその可能性のほうが高いだろう。もしそうであれば、ドクターヘリで搬送されたことが当人にとって本当にラッキーだったかどうかは、当人にしかわからないことだ。

「社会に貢献していない人たち」
という誤解

 そして、僕が指摘したい2つ目のポイントは、彼らの主張のなかにある「社会に貢献していない人は死ねと言うのか?」という点。これも「かわいそう」という「正義」による誤謬だ。ここで言う「社会に貢献していない人」は現役引退した高齢者だけでなく、障害者や引きこもりの人たちを想定していると思われる。そしてその根底には、「社会に貢献していない人たちはかわいそう」という感情が潜んでいる。しかしこれはある種の差別意識だし、このような当事者を無視した同情、憐みが、逆にひどい差別を生むこともある。