民主化が胎動するミャンマーで
思いを馳せた隣国・中国の現状

中国は“民主化”に突き進むミャンマーと<br />どう付き合おうとしているか?民主化が進むミャンマーに中国共産党はどのような警戒心を抱き、付き合おうとしているのか

 2014年8月初旬、私は初めてミャンマーを訪れた。

 ちょうど、同国が“民主化”へのプロセスに舵を切る頃のことである。首都ヤンゴンの中心地、日系企業も支社を置くオフィスビル・サクラタワー付近を拠点に動いていたが、昼夜を問わず、街は活気であふれていた。見るからに“若さ”というパワーを感じさせた。ベトナムのホーチミンの街を歩くようなイメージを彷彿とさせた。日本車が8割ほどを占めていたように見受けられた道路上の渋滞は、バンコクやジャカルタほど深刻ではなかったと記憶している。

 8月10日には首都ネピドーで東南アジア諸国連合地域フォーラム(ASEAN Regional Forum、ARF)が開催される直前であったため、道端にはそれを宣伝するポスターが掲げられていた。ミャンマーが国際社会の一員として地域の発展と協力プロセスにエンゲージし、場合によってはイニシアティブを発揮していこうとする、国民国家としての意思が感じられた。それを象徴するかのように、看板にはASEAN10ヵ国の国旗の脇に「Moving Forward to Unity to Peaceful and Prosperous Community, ASEAN, MYANMAR, 2014」という文言が添えられていた。

「ミャンマーがこの地域の平和や発展に貢献する時期が来たのだと思います。祖国がこのような盛大な国際会議を主催できるのを誇りに感じています」

 ヤンゴン総合病院で働く若い女医が、同病院の対面に掲げられた看板を見上げながら、流暢な英語で私にこう語った。少し照れくさそうに、素朴な笑顔を振りまく、人懐こい現地の人々に、私は直接的な好感を抱いた。いたるところで助けられもした。

 私は“民主化”プロセスが市民社会にどれだけ根付いているのかに注目しながら、街を散策していた。地元の英字新聞『MYANMAR TIMES』は、「今、ジャーナリズムがなすべきことは何か?」といった論考を掲載しつつ、ミャンマーの政治や経済状況に関する議論を促していた。

 サクラタワーから、横断歩道を挟んで200メートルほど行ったところに、10平方メートルほどの小さな書店が3店並んでいたが、店の入口の目立つ位置に、100ページほどの英文でまとめられた『BURMA FOCUSI~IV』が1冊1ドルで売られていた。内容はミャンマーの民主化と発展に関するものであった。

 そのほとんどは、西側諸国で発表された既存の論文であるように見受けられた。正規の出版物というよりは、英文が読めて、政治に関心のある一部の読者に向けられた「内部参考資料」という様相を呈していた。故にかもしれないが、知的財産の問題もそれほど重視されていないようであった。本連載に度々登場していただいた政治学者、フランシス・フクヤマ氏の論考も掲載されていた。