バブル崩壊後は籍を置いても
安心できない社会に

 そういった価値観の下、さまざまな制度や慣習もまた、堤防型に沿ったものとなっている。終身雇用制、年功序列制、入社後の手厚い社会保障や福利厚生、大学や高校の入試、盛大な結婚式なども、全て「堤防の内側で安心」、裏を返せば「堤防の外側に出れば人生終わり」という状況をつくり出すのを、助長するものだった。

 この価値観と、社会制度や慣習のマッチングは、戦後の日本ではうまく機能してきた。熾烈な受験競争に勝ち残った若者は、一流大学という「堤防」の内側に入り、その後さらなる強固な安心を得るために「一流企業入社」を目指す。

 堤防の中で安心に浸ることのできる人々の行動規範は、「籍を失わないこと」、「堤防の外に投げ出されないこと」という目的に沿ったものだった。

 会社をクビにならないように、大学は最低の成績でも卒業はできるように、「ミスをしない」ことが最も重要となり、リスクを承知でチャレンジするような行動が否定されがちになる。結果として、冒険しない、立ち向かわない、保守的な社員が多くなり、会社役員にもそういうタイプが増えてくる。堤防の内側で荒波に揉まれていなければ、そうなるのは当然だ。

 それでもバブル崩壊期までは、こうしたタイプであることにそれほど大きな問題はなかった。だが、グローバル化の波が押し寄せている現在、社員が、特に会社のトップがそういう行動規範に則っていては、会社は立ち行かない。このことは、ソニー、三菱自動車、シャープなど、かつて日本を代表する存在だったメーカー各社が苦境に陥っていることと無関係ではない。

 このように考えれば、日本の制度がすでに限界に来ていることは自明だ。そしてこのことは、筆者のみならず、多くの方々がすでに感じていることだろう。よい大学に入っても、就職活動で壮絶な競争を生き残らねばならず、運良くよい会社に就職できても、定年まで安泰とは限らない。

 つまり、もう堤防は決壊しているのだ。どこに「籍」をおいても、安心は得られない。将来への不安は何をしても消えないのだ。

 現在の状況では、就職活動は「正社員になって安心する」ために行なうものではない。その次のステップのためのチャンスをもらう場でしかない。そのことを頭では理解している人は多い。だが、メンタルがついていかない。不安を制するためにはどうしたらいいか、わからない人が多い。そういう不安から逃れるために、引きこもりやニートになって世間と断絶するケースもあるし、逃れきれずにうつや対人不安障害を発症する人も少なくない。

 終身雇用が崩壊したため、長期間雇わない社員に、十分な社内教育を施す余裕を持たない企業も増えた。そのため、若い社員がスキルを学ぶのは、その個人のモチベーションと能力、そして運にゆだねられる。たまたま、よい上司と職場環境に恵まれ、本人にもヤル気があれば、幸運にもそのような機会を持つことができる。そしてそこで得た知識とスキルを武器に、次のキャリアへとステップアップするチャンスを得られる。

 しかし、大多数の若い社員は、そのようなチャンスに恵まれない。特に、部下を育てる気のない組織や上司を持った若い社員は、ブラックな職場環境で多大なストレスを受けつつ、将来への希望をまったく持てない状態になる。結果、うつや精神障害を持つ人が増える。