二度と会わないのに懲らしめたい――利他的罰

「協力しないと罰を受ける」という強い恐れがある場合、協力的に振る舞うことは個人の利益になります。これが、罰あり公共財ゲームで協力率が上昇した理由です。一見するとこれで問題は全て解決したように見えるのですが、実はこの実験結果には、理解に苦しむ点があります。それは、なぜ人々が罰を行ったか、という点です。

 そこでフェアらは、互恵性(自らの行為が他者に報いられること)の可能性が全くない実験条件をつくり上げ、そのような状況下で「罰あり公共財ゲーム」の実験を行いました。

 実験の条件は非常にシンプルなもので、公共財ゲームを4人で一度行うと、そのメンバーは完全にシャッフルされて、同じ人とは二度と公共財ゲームを対戦できない、というものです。同じ人に二度会えないのですから直接互恵性は不可能です。

 また、自分が加わっていない公共財ゲームで他の人が何をしたかは全く知らせてもらえないようにしました。したがって評判が広まる余地はなく、間接互恵性も不可能です。そして、このような実験設定であることを事前に被験者に説明し、理解してもらいました。

 しかしながら結果は相変わらずで、罰なし公共財ゲームよりも、罰あり公共財ゲームのほうが被験者の公共財への投資額が多かったのです。また、罰の存在は単なる脅しとして機能しただけではなく、他の人よりも投資額が極端に低い被験者は、実際に多く罰される傾向がありました。これは、ヒトが「他者からの罰を警戒し、協力率を上げてしまう傾向」、および「罰を与えてもその人自身にとって何の利益にもならないことをわかっているにもかかわらず、他者を罰してしまう傾向」をもっていることを示しています。

 フェアらの実験においては、罰を与えることは、その人自身に何も利益をもたらさないどころか、罰のコスト分だけ損をしてしまう行動でした。ではこのような罰があると、誰が得をするのでしょう?