ステレオタイプよりも深刻!
「統計的差別」「遺伝的差別」とは?

 しかしズートピアでは、ステレオタイプに基づく差別よりも、もっと深刻な差別が描かれる。それは「統計的差別」である。

 例えば、ある人種の犯罪率が別の人種よりも明らかに高い場合、個人は、その人種の多い街には行かない、その人種が近くに来たら警戒する、という行動をとりがちになる。このこと自体は、統計的事実に基づいた「合理的行動」だ。だが、同時に差別的行動でもある。

 この統計的差別は、我々の社会でもいたるところに見られる。学歴による就職差別などがそうだ。

 この差別のやっかいなところは、差別的行動が「正当化」されやすいことだ。実際に「危ない奴が多い場所」に行くんだから、そこにいる奴らは皆、犯罪者として見て何が悪い、といった正当化がなされる。それに対する論理的な反論は実は難しい。だが、「危ない奴が多い場所」の中にいる、危なくない優秀な人が、不当に差別されるのもまた明らかなのだ。

 残念ながら、私たちの社会はこの統計的差別を克服する方法を未だ得てない。「○○国製の製品は信用ならない」という言説は、統計的事実に基づいている可能性が高い。だが、それによって真っ当な製品を作っている○○国の人々が不当な扱いを受ける可能性を、我々は知っておくべきなのだ。

 ズートピアではこの解決法のない差別について、その統計は「仕組まれたものだった」という、実にうまい解答を用意している。詳しく書くとネタバレになるので、知らない人はじっくり見てみるといいと思う。

 そして、ズートピアでは3番目の差別の源泉として、さらっと触れているだけだが、最も深刻なものを取り上げている。

 それは「遺伝差別」と呼ばれるものだ。上記の統計的差別とも関係するが、遺伝的な理由によって何か「反社会的」あるいは「劣っている」ことに対する差別だ。

 例えば、ガンになりやすい家系の人は、将来ガンを患う確率が高い遺伝子を持っているかもしれない。検査によりそれが証明されれば、その人はガン保険に入らせてもらえなかったり、保険料が激増したりする。あるいは遺伝的にIQが低いことが証明されてしまえば、就学、就職等のあらゆる可能性が閉ざされる。

 遺伝子技術の進歩により、遺伝子分析は日進月歩で進んでいる。自分の遺伝子の特徴によって、将来差別的な待遇をうける可能性は高まっている。そして、その差別を差別として、「不当」と言い切れるだけの、理論的な議論はまだできてない。

 現在行われているのは、そういった人々に対する心理的なカウンセリングだ。できるだけ現実を受け入れ、その中でベストを尽くせるようにポジティブな感情を引き出すためのカウンセリングである。その重要性はこれからますます高まるだろう。

 ズートピアの中では、ある遺伝的特徴の危険性が指摘されながらも、結局それは理性によってコントロール可能だ、という話になんとなく落ち着いている。だが、映画の中では、その理性のタガが外れて、とんでもないことが起こっている様子が克明に描写されている。そしてその「遺伝による潜在的な危険性」は、映画の中では、結局解決されていないのだ。

 一見楽しいファミリー映画の中には、これから人間社会が克服しなくてはならない問題が見事に描きこまれている。それは現在進行形で進んでいるし、職場でも常に問題になるものである。

 一方で、確かに映画は楽しむためものものなので、そんなに肩肘張らずに見て楽しむ、というのももちろんアリだ。子どもや家族と見るときには、楽しみ、大人だけで見るときには、こういった社会問題の教材として見てみるのもよいだろう。