自分は、何で高揚するのか?
――自問の果てにたどり着いた決意

徳重 もう1つ転機としてあったのは、MBAを考えはじめたことです。MBAの何がいいのかというと、自己分析させられるんですよね。この本に出てくる斎藤さんのやり方じゃないけど。つまり、アメリカって同じ人は2人もいらないんですよ。つまり、住友銀行でTOEFL600点の人と、三菱銀行で590点の人とがいたとしても、キャビンアテンダントでTOEFL400点の人のほうがほしいんですよ。つまり、差別化が必要なんです。

 そうして振り返ってみると、僕はべつの普通の一流大学。普通に英語ができる。普通に大企業。普通なんですよ、セグメンテーションしてみると。何も強みがないわけです。でも、MBAのエッセイとかでは、何が違うんだって聞いてくるんですよね。そのときにいろいろ考えた結果、僕は「起業家精神」なら絶対に負けないと思ったんです

 これは、自分の「原体験」と、何が好きか何を読んだら高揚するかどういう人に会ったら気持ちが高ぶるかっていうことと間違いなく関係しているんですよね。でもこれは、親父の「家訓」の中のやってはいけない大きな項目の1つに入っているわけです。ですから、もう、親父とも決別する覚悟で導き出しました。本当に、それくらい厳しい人だったんです。1年ぐらい悩みました、これでも。そして、会社を辞めて、アメリカに行きました。

斎藤 留学する大学を決めて辞めたんですか?

徳重 決める前に辞めています。というのも、うちの親父、人事部とかに電話するぐらいなんですよ。

斎藤 ホントですか!?

徳重 「うちの子どもが辞めようとしてるから、止めろ」みたいな。本当です。だから、報告しに行ったときのことは、いまでもよく覚えています。めちゃくちゃ口うるさい親父が無言なんですよね。震えてるんです。2分ぐらい。めちゃくちゃ怖いですよ。そして、隣ではお袋が泣いていました。

 だから、ここまでの物語が、僕の中の「原体験」なんです。最初の話に戻ると、チャレンジする人が最初の「柵」を飛び越えるのには、ものすごいエネルギーがいるんですよね。だけど、普通の人でも、チャレンジすることが評価っていうか、少なくても応援されるような社会にならないと、よっぽど変なやつしか、飛び出せなくなってしまいます。だから、そのときにもう少し、サポーティブな声があれば、もっと多くの人が挑戦するんじゃないか、と思います。

斎藤 いろんな「柵」を、1回そこで、アメリカへ行くときに飛び越えたんですね。

徳重 そうです。そのとき、僕は30歳なんですよね。そこから、僕の人生が始まった、という感じです。それからも、大変なことがいろいろあるんですけど。感情曲線でも、しばらくどん底です。でも、その意思決定が一番大変でしたね。

後編(9月29日公開予定)では、アメリカ留学前後のどん底からいかに立ち直り、日本発「メガベンチャー」を志し、「テラモーターズ」を起業するに至ったのか、語り倒していただきます!お楽しみに!(構成:編集部 廣畑達也)