日本コカ・コーラ会長の魚谷雅彦氏は就任当時、「26年ぶりの日本人社長」として話題を呼んだ。そのフットワークと意欲に満ちた姿勢で、クラフト・ジャパンやNTTドコモ特別顧問などのエクゼクティブも歴任してきた魚谷氏によると、「キャリアは作るものではなく作られるもの」という。時代が求めるプロフェッショナルに、彼はどうやってなったのだろうか?「自己実現の追求こそが付加価値を生み出す」と答える魚谷氏に迫る。
付加価値を作れるかどうか、
それが転職のカギ
1954年奈良県生まれ。1977年同志社大学文学部卒業後、ライオンに入社。1981年アメリカのコロンビア大学に留学。MBA取得後帰国し、営業を経て本社企画部門に勤務。1991年クラフト・ジャパンに入社し代表取締役副社長に就任。1994年、日本コカ・コーラに入社し取締役副社長に就任し、「ジョージア 男のやすらぎキャンペーン」をはじめ、「爽健美茶」「紅茶花伝」などの大ヒットを指揮する。取締役筆頭副社長を経て、2001年10月代表取締役社長に就任。「26年ぶりの日本人社長」として話題を呼ぶ。2006年より取締役会長。07年NTTドコモ特別顧問就任。近著に『こころを動かすマーケティング―コカ・コーラのブランド価値はこうしてつくられる』(ダイヤモンド社)がある
南 まず一番にお伺いしたいのは、世界の食品大手クラフトゼネラルフーズの日本支社であるクラフト・ジャパンから日本コカ・コーラに転職されたことです。どういった基準で選ばれたのでしょうか。
魚谷 転職する際に心がけていたことは、待遇や報酬に応えるだけの付加価値をその会社で作れるかどうかということです。企業価値にプラスできるものがなければ意味がないのです。
コカ・コーラからは、日本人でリーダーになる人を探しているというヘッドハンティングの話がありました。しかし、日本のコカ・コーラはすでに売上高が1兆円以上ある大きな会社でした。面白くないなと直感的に思いました。
当時、私が社内会議などで成功の条件として挙げていたのは「ローカル・パートナーシップ」、「ローカル・プロダクトディベロップメント」です。これは、グローバル企業であっても、展開する国や地域に根ざした提携、商品開発を行うことが重要であるという意味です。そのお手本がコカ・コーラだったのです。
すでにマーケティングもブランディングもしっかりできている成功例として引き合いに出すような会社に今さら行っても、付加価値は提供できないような気がしました。そこで、正式な面接は断りました。
しかし、日本コカ・コーラの社長であるマイケル・ホール氏から食事に誘われ、印象はどんどん変わっていきました。彼は、まさにナイスガイで、ユーモアに溢れた愉快な人柄で話も盛り上がりました。そしてホール社長は単刀直入に当時抱えていた課題を教えてくれました。
「We have no marketing(我々にはマーケティングがないんだ)」と。