毎年恒例の「ブラック企業大賞」が発表された。大方の予想通り、今年の大賞は「電通」だった。順当すぎておもしろくもなんともない結果だが、仕方がない。これだけ世間とマスコミを賑わしたのだから、これを外してしまっては「なにか、圧力でもかかったのか?」と勘ぐられてしまうだろう。選考会場でも満場一致で決定したに違いない。

 今年の9月に、東大卒新入社員の高橋まつりさんの自殺が過労死認定されたことで、長時間労働や過労死を生み出す状況への批判は電通だけにとどまらず、国民的議論が巻き起こっていることはご存じのとおり。先日、12月24日の夜には、『NHKスペシャル 私たちのこれから #長時間労働』と題された特集が放送された。世間がクリスマス気分で賑わうイブに、わざわざこのような特集をぶつけてくるあたり、いまの時代の空気感が反映されているのかもしれない。

識者が唱える
「もっともらしい主張」 への違和感

 ともあれ、長時間労働も過労死もなくすべきことに異論はない。しかしいま、巷にはびこる議論は「長時間労働を減らせ」「生産性を上げれば定時に帰宅できる」みたいなお題目ばかりで、踏み込んだ議論がほとんど見られない。この国の「識者」という人たちは昔から、念仏さえ唱えていればメシが食えるという結構なご身分の方々のようだが、そのような恵まれた立場の人間の「もっともらしい主張」を聞いていると、僕はついイラッとしてしまう。

 前述の『NHKスペシャル』でも、スタジオに招かれた大企業や行政の人間の主張と、町工場など零細企業の経営者の発言にはもの凄く大きな「温度差」があり、その温度差こそが、過労死を含む日本の労働問題の本質だということがよくわかって興味深かった。

 たとえば、VTRで紹介していた、ある企業事例をめぐる意見の違いだ。この企業事例は、無茶ぶりするクライアントの要求をキッパリと断ることで残業を減らし業績も伸ばした、というお話。このVTRを見た識者たちは、「他の企業もこの事例に見習って、同じようにすべきだ」みたいなことを言う。一方、零細企業の経営者は「そんなこと、できるわけがないじゃないか!」と反論。弱い立場で働いている人たちは、零細企業の社長の発言に共感したことだろう。

 この事例では、「大口クライアントに頼った経営では、無茶なリクエストも断れないので、なるべく小分けして多くの企業と取引すれば良い」とされていたが、取引先ポートフォリオみたいなことはどこの経営の教科書にも書いていることで、現実にはそれができないから零細企業はみんな苦労しているのだ。ビジネス誌でもよく、「どこかの零細企業が奮起してオリジナルな強みを持つ製品を開発して、下請け体質から脱却!」みたいな記事が載っている。それはそれで素晴らしい話ではあるし、零細企業の経営者はそこを目指すべきではあるが、現実にはそんなことができる企業はほんの一握り。だからみんな苦労しているのである。