要約者レビュー
部下を持つ上司であれば、だれでも一度は部下への注意の仕方に悩んだことがあるのではないだろうか。なにせ、厳しく注意したらヘソを曲げられてしまったり、パワハラだと訴えられたりする時代だ。まちがいを指摘するときも、細心の注意を払わなければならない。それが、たとえ部下に完全なる非があったとしても、である。
榎本博明
206ページ
PHP研究所
800円(税別)
こうした事情が関係しているのか、日本社会には一見すると「やさしい」上司が増えたようにも思える。だが、それがはたして本当のやさしさと言えるのか、大いに疑問だ。
この点に関して、『「やさしさ」過剰社会――人を傷つけてはいけないのか』の著者の指摘はするどい。著者は現代日本における「やさしさ」の正体を、「予防としてのやさしさ」と看破する。つまり、一見すると「やさしい」上司というのは、あくまで相手を傷つけないようにしているだけで、実はたんに利己的かつ保身的な態度をとっているだけだというのだ。
相手のためを思い、ときに厳しく接する「治療としてのやさしさ」は、たしかに現代では許容されにくくなっているかもしれない。しかし本当に重要なのは、本当に相手のことを思って接すること、そして相手からの厳しい言葉の裏に隠された想いを見落とさないことなのである。
もちろん、真のやさしさは本書だけで定義できるものではない。だが、傷つき傷つけられることを許しあうということは、現代の日本が忘れかけている「やさしさ」のかたちかもしれない。
本当のやさしさについて考えさせてくれる一冊として、本書をお読みいただければと願う。 (池田明季哉)
本書の要点
・傷ついた相手を癒す「治療としてのやさしさ」よりも、相手を傷つけない「予防としてのやさしさ」に対する感受性が日本で広まっている。
・「予防としてのやさしさ」が求められる「やさしさ社会」は、一度でも他者を傷つけることは許されないという意味において、きびしい社会である。
・心の傷は癒すことができるという信頼のもと、相手の長期的な利益を考えて、ときに厳しく接する「やさしさ」への感受性に回帰していくべきだ。