大隈重信(1838~1922年)は、明治維新後の日本において、通貨制度の確立に大きな功績を残した人物である。
当時の彼の奮闘が『イノベーターたちの日本史』(米倉誠一郎著)で解説されている。この本には、現代における日本銀行の金融政策や財政規律との比較において、非常に示唆に富む論点が多々含まれているため、ポイントを引用してみよう。
維新において、さほど実績がなかった佐賀藩士である大隈が、新政府の中枢に躍り出るきっかけとなったのは、長崎のキリスト教問題での外交手腕にあった。隠れキリシタン弾圧に激怒していた欧米列強をけむに巻いた大隈は、次に横浜の外国商人たちとの折衝を担当した。
彼らは日本の通貨の信認が低いことを明治政府に突き付け、両者の間に激しいせめぎ合いが生じていた。
というのも、明治政府が発行した紙幣である太政官札は、国内商工業の振興を目的に、流通期限を13年間とするなど規律をはめて発行が開始された。しかし、実際は大半が財政赤字の単なる補填に用いられ、発行額は拡大。「放漫財政の源」となっていた。
このため、太政官札は市場で信認されず、交換価値は低迷。外国商人はその受け取りを嫌がっていたのである。
大隈は彼らとの激しい折衝の中で、国内の財政基盤を安定させ、信用ある貨幣制度を確立することが急務だと痛感した。それがなければ、「外交や通商交渉の席に対等に着くことができなかった」からである。