例えば「素因数分解ができる」というのは、その概念や思考を使える「ポテンシャル」があるということ。一方で、「素因数分解ができる」ことで養った概念や発想を社会の課題に対してどう活かすか、というのが「パフォーマンス」能力です。

松田恵示(まつだ・けいじ)/東京学芸大学副学長、「遊び学」研究者。1962年、和歌山県生まれ。大阪教育大学大学院卒。専門分野は社会学(スポーツ・教育・文化)と教育研究(体育科教育/教育支援)。NPO法人東京学芸大こども未来研究所前理事長、中央教育審議会生涯学習分科会専門委員(2016年度)、吉本興業主催「笑楽校」監修など、教育および教育支援に関する多くの要職を兼任。学校と社会を繋ぐための教育人材の育成や、教育現場との実践的な共同作業を行っている。一方、社会意識論の立場から「遊び文化」を研究。「遊び」を取り入れた文化や社会を広げることに取り組んでいる。

「ポテンシャル」重視であったこれまでの教育から「パフォーマンス」を高めるには、課題に接する“実体験”が必要になる。そこで社会と連携し、さまざまな葛藤を通じて解決策を考えていく経験をさせようとしています。

「ガマンして努力すべき」は
いったん捨てよう

──とはいえ、まだまだ学力偏重主義が根強く残っている面もあります。一方で、医大生の婦女暴行事件など、高い学力を有しているはずの学生による犯罪も取り沙汰される。やはり学力だけでは、子どもの健全な成長は望めないのでしょうか。

 それは学力志向の問題というよりも、情報化社会の影響だと思うんですね。例えば、今の学生は「昼ご飯を食べよう」と話すとすぐ“ググる”んです。見えている範囲の店で「あそこが美味しそう」なんて言っている僕なんかよりも、彼らの方が正確な情報で美味しい店にたどりつける。

 ただ、これは合理的で効率がよい反面、事前に得た情報に自分を合わせて動く、という行動様式を生みます。常に既存モデルの中にいるため、新しい発見が生まれず、枠組みから抜け出しづらい面がある。

 質問に出た医大生たちにしても、実際にそんなことをしたらどうなるのか、ということは“情報”としてインプットされているとは思うのですが、目の前にいる相手の痛みや苦しみに考えが至るほどの経験や行動様式が培われていないのかもしれません。そのギャップによってさまざまな事態が引き起こされているように思います。