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 漆器だけではありません。16世紀、日本にやってきた宣教師や商人は、日本の豊かで洗練された文化に、感銘を受けました。17世紀に入って、日本が鎖国体制を取ると、日本を訪問することが難しくなった分、日本への興味はさらに増すことになりました。それは授業でも教えている『ジョン・セーリス日本航海記』(*1)からも明らかです。

佐藤 日本は技術と製品で世界に影響を与えてきたのですね。

ハウエル 漆器技術の他に思いつくのが、肥料製造技術です。18世紀後半から19世紀前半にかけて、多くの欧米の化学者や農業技術の専門家が、日本と中国で発達した肥料製造技術について研究しています。具体的には人間の排泄物を農業肥料として活用する技術です。

 たとえばイギリスには、「人間の排泄物はとても良い肥料になることはわかっています。日本や中国と同じように、私たちも肥料として生かしましょう」と専門家が農家に手紙で呼びかけている記録が残っています。最終的にはうまくいきませんでしたが、アメリカでもヨーロッパでも、何とかして日本の肥料製造技術を真似して取り入れようとしていたことがうかがえます。

 現在、日本は先端技術に優れた国として世界から認識されていますが、江戸時代までは前近代的な国家だったという印象が強いのではないでしょうか。しかしながら、漆器技術、農業技術など、欧米よりもずっと進んでいた分野もあったのです。

佐藤 日本人の技術力を象徴する話として、日本では「反射炉」の話が有名です。江戸時代末期に、佐賀藩や薩摩藩などでは洋式の大砲を鋳造するために反射炉を作ろうとしたが、鎖国状態だったため外国から技術者を招聘できず、オランダの技術書のみを参考に日本人だけでつくってしまったという話です。なぜそのようなことが可能だったと思いますか。

(*1)ジョン・セーリスは、イギリス船として初めて日本に来航したイギリス東インド会社の貿易船「クローブ号」の船長。『日本航海記』は1611年4月18日英国ケント州ダウンズ港を出帆してより、1614年9月27日プリマスに帰帆するまでの航海および日本滞留日記。平戸に入港し、駿府、江戸において家康や秀忠に面会して、王の親書を奉呈し家康の返書、ならびに通商免許状と土産物を受けて帰国した。