不安定な中東情勢やインフラ整備の遅れなど、困難な環境のなかで事業を営むヨルダンのロジスティックス企業、アラメックスは、常に資金繰りに悩まされる脆弱なベンチャーだった。重要な転機となったのは1984年。同社は経営の安定化を狙って、アメリカの大手エアボーン・エクスプレス(現DHL)に出資を仰いだが、断られた。
しかし、中東地域の下請け仕事を何とか獲得し、そこにチャンスを見出した。大手の信用力やシステムを巧みに活用しながら、着実に競争力をつける一方、自社の弱点を克服するために周到に準備を進め、戦略的に事業拡大を図った。その後、ナスダック上場を果たし、提携解消の危機も難なく乗り越え、業界でリーダーシップを執るまでになった。アラメックスCEOのファディ・ガンドゥールがつづる同社の歩みから、失敗から発想を転換させ、次の一手を構想するヒントが見える。
交渉失敗に手ぶらでは帰らず「残念賞」をフル活用
宅配便会社のアラメックスを設立してから2年後の1984年、私はかつて経験したことがないほど重要な会合に向けて準備を進めていた。パートナーのビル・キングソンとともに、シアトルに本社を置くエアボーン・エクスプレス(現DHL)を説得して、アラメックスの株式の50%を10万ドルで買い取ってもらおうと目論んでいたのである(図表「アラメックス発展の軌跡」を参照)。
Fadi Ghandour
アラメックス・インターナショナルの創業者兼CEO。世界最大のアラブ圏コミュニティ・サイト、マックトゥーブ・ドットコムの共同創設者でもある。
アラメックスは当時、中東を拠点とする最初の宅配便会社となるべく、ヨルダンのアンマンに質素なオフィスを構え、中東の数カ所に小規模な営業所を開設していた。その営業規模はごく小さかった(売上高は100万ドルにも達していなかった)。
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私は営業部長から、時には配達員まで、さまざまな役割をこなした。キャッシュフローは逼迫し、気が休まる暇などなかった。アラメックスは寄せ集めで、自転車操業を行う、言わばゲリラ集団だった。
世界的な宅配便会社は当時、中東に成長機会があるとは、まだ考えていなかった。物流や役所の手続き面で、内戦や複雑な政治的関係を避けて通ることはきわめて困難だったからである。そのうえ、宅配便サービスの法人需要がまだ存在しない国もあれば、企業や郵便局によって宅配便サービスが独占されている国もあった。
そこで、我々が考えたのが、エアボーンから出資を受けて、世界に名だたる物流会社である同社からお墨付きが得られれば、新興企業であるアラメックスの将来を確実なものにできる、ということだった。