視野を広げるきっかけとなる書籍をビジネスパーソン向けに厳選し、ダイジェストにして配信する「SERENDIP(セレンディップ)」。この連載では、経営層・管理層の新たな発想のきっかけになる書籍を、SERENDIP編集部のシニア・エディターである浅羽登志也氏がベンチャー起業やその後の経営者としての経験などからレビューします。
“対象”が違っても生かせる「職人」の技術
私の父は65歳の時にがんで亡くなった。
生前のある週末、がん治療のために入院していた父を見舞った際に1枚の紙を見せられた。それは鉛筆で描かれた設計図だった。自宅の2階にある小さなベランダを拡張したいとのことだった。退院後に自分で工事しようと、コツコツ描き続けていたようだ。
「そんなの自分でできるの?」と半信半疑で尋ねた私に、父は「ちゃんと設計しているから大丈夫だ」とうれしそうに答えたのだった。
そういえばそれより前に自宅を新築した時もそうだった。父は、プロの建築士による設計図を見て、あれこれ注文をつけていた。「ここはこうしたほうがいいんじゃないか」と、自分が気に入るように変えさせていたのだ。建築士が「それは無理」と難色を示した父のアイデアが、結局実現できたこともあった。
当時は、建築の素人のはずの父が、よく専門家に意見できるな、と感心したものだ。
父は、何十年も電力の送変電設備の設計に携わっていた技術者だった。
思うに、父は電力設備の設計に関しては「職人」だった。業務上、「設計」の基本的な技術を身につけていた。だからこそ、設計する対象が家屋に変わっても、自信をもって設計図を引いたり、専門家にアドバイスができたりしたのだろう。設計の「技術」があれば、あとは必要な家屋に関する「知識」を身につければいいからだ。
残念なことに、父のベランダ改造計画は実現しなかった。だが、父は現場の技術者を引退した後も、対象を変えながら職人としての技術を発揮しようとしていたのは確かだった。
ありし日の父のことを思い出したのは、本書『旅する江戸前鮨 「すし匠」中澤圭二の挑戦』を読んだからだ。そこに描かれた伝説の鮨職人・中澤圭二が挑戦を続ける姿に、生前の父が重なって見えたのだ。