テーマごとに考え自身で取捨選択する姿勢を
右翼団体「一水会」の元代表鈴木邦男さんは、代表を務めていたときからリベラルと呼ばれる人たちとも対話を重ねていました。
日本を守るという基本的立場を持つ鈴木さんは、リベラルな人が言っていることが正しい場合もあるという認識に立ち、日本を守るためにこだわりなく対話をし、意見が一致することもあると認めています。
そういう意味では、鈴木さんはこれまで私がお話ししたことを実践している方です。
鈴木さんは最初から相手にレッテルを貼って「あんたはリベラルだから俺とは違う」とは言いません。こうした鈴木さんの姿勢に対し、もちろん批判的な見方をする人もいると聞いています。しかしながら、私は鈴木さんの個別のテーマで考えるという姿勢に共感を覚えます。
立場や基本的考えの異なる鈴木さんにすべて同意できるわけではありませんが、私も鈴木さんの考え方に賛同できる部分があるのは事実です。
橋下さんがベーシックインカムに言及したとき、支持者のなかに「すべての人を救おうとしているのか! アイツは共産主義か!」という批判が起こりました。手のひらを返したように、橋下さんを偽者呼ばわりする人も出てきました。
橋下さんの打ち出す数多くの考えや政策に、支持者といえども1から10まで素晴らしいと思えるとは限りません。あらゆる点で納得させてほしいという姿勢が強すぎると、少しでも同意できないことが出てきたときに、一瞬にして憎しみや敵意に変わってしまうのが人間というものです。
以前から、日本人はカリスマ的な人が出現すると、考え方だけでなく生活スタイルまですべての情報を求める傾向があり、それを真似して安心する。これは芸能人に対するファン心理と重なる部分があります。
もちろん、趣味の範囲にとどめるならまったく問題はありません。
しかし、社会問題に対してまでそうした姿勢でいるのはいかがなものでしょうか。テーマごとに深く考え、自分の納得できるものを取捨選択し続けるのは大変ですが、それが自分の考えを形作ることになるのでしょう。