全体と部分を分けて柔軟に考える姿勢を持つべき
現代は、かつてのような「体制vs反体制」「保守vs革新」という単純な図式は成り立ちません。
社会状況が非常に複雑化しているため、保守といえば「国歌斉唱推進」「自衛隊容認」などという、いわゆる「方程式」が成立する構造ではなくなっています。
アメリカに対する態度に着目しても、「左」と呼ばれる人が「右」と呼ばれる人と同じ考え方をするケースは珍しいことではありません。先ほどお話しした反原発と原発推進の話題と同じように「こういうスタンスの人はすべてこう言うだろう」という公式が成立しない時代になっているのだと思います。
そういう時代には、異なる部分は異なるとしながらも、賛同できるテーマごとに手を取り合っていく以外に方法はないと思います。
それなのに、たったひとつの論点が食い違っただけで、そこに集う人のバックグラウンドまでも批判し合っているのが現状ではないでしょうか。
「K-POPが嫌いだから、韓国が嫌い」
この発想が不健全だということは、誰にでもわかることと思います。仮に韓国が日本に対して取る態度には賛成できないと考えても、韓流ドラマや韓国料理は大好きという姿勢で構わないのでしょう。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いと考えるのではなく、それぞれのテーマごとに考えるべきではないでしょうか。
もちろん、あまりにも矛盾が激しすぎると、どのようなスタンスを持つ人なのかわからなくなってしまう恐れもあります。そのリスクを加味しても、全体と部分をある程度分けて柔軟に考える姿勢が必要になってくる時代なのだと思います。