現代人は教祖的な人を求める傾向が強まっている

 現代は、むしろ「反原発といえば~だ」「この人は~派だ」というレッテルを付けたがる傾向が強まっているのではないでしょうか。

 確かに以前は、大元にある思想が同じであれば、価値観が統一される傾向があったかもしれません。しかし、今は同じエコロジストでも「環境を守るためには火力発電を減らし、原発を残すことが必要だ」という人もいます。エコロジストだからといって一概にカテゴライズすることができなくなっています。
しかも、大きな社会問題が起こったときには必ず矛盾が出てきます。

 河野太郎さんの反原発の事例で言えば、反原発の人たちは河野さんは信じられると思っていたのに、ガレキについての発言だけで裏切られたと感じてしまったのかもしれません。

 しかし、河野さんが反原発の姿勢を崩したわけではありません。基本的な主張とともに是是非非で議論されておられるのです。寝返ったとか推進派になったとかいうレッテルを貼って袂を分かつことが、反原発の人たちにとって大きなデメリットになることも理解すべきです。

 現代人は、自分のロールモデルとなる人を求めすぎているのかもしれません。

 誰を信じていいのかわからない時代だからこそ、食べものの嗜好から、読んでいる新聞から、すべてのことに共感し、納得し、真似できる人物を求めているのでしょうか。

 私から見れば、これは教祖と同じように見えてしまいます。確かに、教祖的な人物を妄信し、何から何まで真似をするのは非常に楽なことです。ツイッターなどで教祖的な人物の考えや行動が逐一わかるようになっていることも、その傾向に拍車をかけているのかもしれません。