「場合によっては、モノ・カネの話は後回しにすべきときがある」
宮沢喜一元首相が私にそんな話をしたことがある。
重大な主権侵害や国の名誉に関わる緊急事態。大きな自然災害や事故、そして疫病の発生など。モノ・カネを越えた価値、すなわち人命や名誉が危機にさらされたときだ。
宮沢元首相は戦後史の生き証人のような人だから、その言葉には格別の重みがあった。私は豊富な体験に裏付けられた宮沢政治哲学の1つとして記憶した。
そんな眼で見ると、最近の野田佳彦首相は火事場で札を数えているような印象が強い。家族の一員がそうしているのならともかく、彼はその家の主人である。「他にすることがあるだろう」と一言文句を言いたくなる。
国民の3分の2が疑念
安全基準や需給見通しは方便か
注目された大飯原発の再稼働問題でも、野田首相は安全性よりモノ・カネを重視する姿勢を貫いた。
4月14日、首相は、大飯原発3、4号機の再稼働を認める政府方針を決めた。原発の“必要性”が“安全性”を押し切ったのである。
しかし、直後の14、15日に実施された朝日新聞の世論調査では、再稼働に賛成する人が28%に対し、反対が55%と2倍に達している。
さらに、“必要性”の根拠とされた政府や電力会社の需給見通しを信用しない人は66%を占め、信用している人はわずか18%に過ぎない。
また、“安全性”の判断基準とされた新しい安全基準に対しては、なんと17%が信頼、逆に信頼しない人が70%を占めている。
要するに、3分の2の人が安全基準や需給見通しは、再稼働のための方便と疑っているのだ。
おまけに14日は、北朝鮮のミサイル発射実験と重なった。意図的ではないにしても、わざわざその日にぶつけて来たと思われるほど政権に対する不信感が強くなっている。まさか、首尾よく破片を打ち落とし、大きな拍手の中で再稼働決定がかき消されるという淡い期待があったわけでもあるまい。