日本企業の不幸は
みんな同じストーリー?
トルストイは著書『アンナ・カレーニナ』で「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」(望月哲男訳、光文社古典新訳文庫、2013年)と書いた。僭越ながら、私は文豪トルストイの描写の射程は、日本企業の現状にまでは届いていないと思う(そんなことを言われてもトルストイの知ったことではないだろうが)。
今の日本の多くの会社の「不幸」は、それぞれの不幸の形があるというより、同一の原因と過去の失敗の影響を受けて、かなり似たような状況に陥っているように思われてならないからだ。すなわち、「不幸な会社はどれもみな同じように見える」。
ご存じの通り、現在の日本では人口減少から需要が減退し、この先、多くの企業で国内売上の低迷と過当競争が避けられない状況にある。
その昔、バブルの折には、それなりの大企業はこぞって多角経営をし、海外に進出した。しかし、バブルは弾け、多角化もグローバル化も失敗し、莫大な特損を出して沈んだ。その後は本業回帰を叫び、同時にコストダウンのため、正社員を減らして、外注化で収益力を高めた。そして、国内依存ではやはり将来がないと考え、海外市場に再チャレンジをした。
結果、競争力のあるいくつかの企業群は海外でのビジネスで成功してグローバル企業化への道を歩み始めたが、やはり多くは苦渋をなめた。そして再び、国内に注力してコストダウンをして収益力を高める。しかし、やはりこのままではいけないと今度はM&Aを中心に海外や新領域への進出を図るものの、やはりそう簡単にはことは運ばず(※)……という失敗と復興を繰り返してきたのである。
(※)海外企業の買収については、『海外企業買収 失敗の本質』に定量的なデータ分析があるので、参照されたい。
10年前にはリーマンショックの到来で、いよいよ終わりか……と思ったところに、金融緩和と円安誘導による景気回復で息を吹き返し、なんとか今はうまくいっているように見える。しかし実際には縮小均衡への道をレミングのようにまっしぐらに進んでいるのを、素知らぬ顔をして日々過ごしているというのが、大方の国内型大企業の現状だろう。